回顧録

【回顧録】 耳鼻咽喉科

【回顧録】 耳鼻咽喉科 【回顧録】 耳鼻咽喉科2020年7月22日 14:45:08 作成今日眼科に行って思いだしたが、院生の時に回転椅子で研究していた頃、三半規管との関連が必要になったと思うが、耳鼻咽喉科の医者と話をすることになった。確か奈良の大学病院だったと思うが、そこで目眩の患者を一緒に診た。視線の方向を調べるようなことで、目眩の時は、瞳が左右に振れると言うことだった、 この患者は寝ていて急に起きると目眩が起きるとのことで、急に起こして目眩を起こさせて、その瞳が左右に振れているのを見た。 たしかおばさんだったが、それをそのままにしておいて、その横で議論。 たまりかねたおばさんが、先生もう...
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【回顧録】 60日間東日本一周 その1

【回顧録】 60日間東日本一周 その1 【回顧録】 60日間東日本一周 その12019年5月11日 11:28:02 作成書いたつもりが、良く見たらまだ書いてなかった。70年大阪万博の夏に藤田と2人で行った。 スバルサンバーの廃車になっていたのを1.5万円か5万円で買って、それで行った。 走行距離は5万キロ以下で、今から考えるとマシな個体だった。 当時のナンバープレートは、藤田が持っていたのを1枚譲ってもらって、部屋に飾ってある。荷台に1畳の棚を作ってその上で2人が寝る。 下には小型のプロパンガスとか水とか荷物を入れる。 屋根にはキャリアを付けて、水のタンクとか、ほとんど溝のなくなった交換タイ...
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【回顧録】 鉄砲を作った話

【回顧録】 鉄砲を作った話 【回顧録】 鉄砲を作った話2023年1月28日 16:59:19 作成大阪府立大学の池の西側に新築の建屋があって、そこの3階ぐらいに第5講座は入っていた。 そこで大学院の時にそこにいたわけだが、そこでいたずらで拳銃を作ってみようと思って、池の反対側にある実験工場で旋盤使って銃身を削り始めたがなかなかうまくいかない。 工場長は学生でもなんでも、これぐらいの旋盤は使えなければいけないという態度の人なので、色々教えてくれた。 しかしなかなかそんなにうまく削れないし、ライフルを切る方法もよくわからなかったので、銃身を作るの諦めて、鉄パイプか何かで代用したと思う。 それで花火...
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【回顧録】 立石電時代の余暇とスキー

【回顧録】 立石電時代の余暇とスキー 【回顧録】 立石電時代の余暇2021年2月26日 16:20:15 作成自動車に乗るのが好きだったので、当時のコロナでアチコチ行った。 確か山陰から山口の方に新出君と一緒に行ったような気がする。 新出君は同期だが、おとなしくて、割と気が合った。 しかししばらくした後、立石電機の北の岡の上にある社員寮で、体に電線を巻き付けて、感電死自殺をしてしまった。 見に行かなかったので、聞いた話。裏の寮の横の畑にコロナを停めて置いたら、カーステや一緒に置いておいた免許証も盗まれてしまった。 その後で車で交番まで行って届けたら、免許証不携帯と言われたが、まあしょうがないと...
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【回顧録】 アマチュア無線 と解体屋

【回顧録】 アマチュア無線 と解体屋2020年8月17日 11:19:44 作成7メガ時代も、長距離ではなくて、近所で延々と話した。恩智のE何とかは以前に触れた。 今日も家の前を通って山の墓に行った。 万願寺の中でも南の森川さんがGHGか何かで、御回在の時に始めて分かった。 一番近くの自殺した田中さんも最後にやって来た。 その時はそうとは思わず、その後しばらくして死んでしまった。 でかいアンテナが家から見えた。岡本の写真屋さんも大きなアンテナを上げているが、話した事は無い。 おそらく長距離の14メガの人だったのでは無いか。 一度聞いてみないといけない。小坂にもE何とかさんが居た。 これは7メガ...
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【回顧録】 大阪府立大学 その4 大学院

【回顧録】 大阪府立大学 その4 大学院2018年7月23日 17:30:32 作成大学院に入る前後から大阪万博があった。 藤田の紹介で、ペプシ館の技術スタッフとして館の設営から運営までやることになった。 時給は当時としては破格の800円。 駐車料金は1日500円で痛いが、それよりも遙かに多い。 ぶらぶらと居るだけでももらえたので、お金が無くなると、フラッと行って小遣い稼ぎをしていた。 館長の秘書によると、我々の報酬は館長に次いで高いそうな。プロジェクトを主導したのは、E.A.T. (Experiments in Art & Technology )最初に簡単な英会話の試験があったが、ほとんど...
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【回顧録】 大学時代の通学とスバルサンバー

【回顧録】 大学時代の通学とスバルサンバー2020年3月14日 13:58:51 作成大学の1年は近鉄で上六、バスでなんば、そこから南海で中百舌鳥まで行くルートで通学した。 軽音楽部でベースを担当していたので、クラブの大きなウッドベースを持ってそのまま電車とバスで持って帰ったことを思い出す。運転免許は昭和42年の4月4日で、この年から晴れて車で通学をした。 最初はパブリカで、その後は箱型のコロナだったと思う。 中央環状が出来るまえで、八尾飛行場のアンダーパスを通っていった。 学校からは夜が遅いので、最速は50分ぐらいで戻ったと思う。 学内は、自動車部以外は誰も自動車を持っていなくて、何処に停め...
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【回顧録】 スキーの話

【回顧録】 スキーの話 【回顧録】 スキーの話2022年2月7日 11:51:12 作成初めて行ったのは極楽坂スキー場で、これは藤田君がのお父さんが富山に単身赴任していたのでその関係で極楽坂に一緒に行った。 ここで一番下のゲレンデで滑っていて、良くこけるので、ある時にコケて雪に埋まった時にスキーの板が妙な方向から出ているので足が折れたかと思ったが、結局スキー板が折れていただけだった。極楽坂は右の方にその後国体のコースができて、大きなスキー場になった。 当時も第3ゲレンデから第2ゲレンデに降りるところが壁みたいになっていて、こんな壁をどうするんだろうと思っていたら、そこは競技用のコースになってい...
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【回顧録】 高校・大学時代のクラブ

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【回顧録】 アポロ11号

【回顧録】 アポロ11号2022年3月10日 10:34:56 作成1969年7月24日16時50分35秒 (UTC) アポロ11号は月面に着陸した。 まだ学部学生のころで、祐源などが阪大に居た時期で、この着陸の実況は、阪大の研究室で夜中に見たと思う。 他に2‐3人居たと思うが忘れた。ケネディが月に行くと宣言して、10年でそれが実現。 やらないといけないことは多いが、月と言う非常に分かりやすい目標が良かったと思う。 しばしば目標設定の好例として紹介している。あの頃がアメリカが一番輝いていた頃だと思う。 あの時の大型の車もその後は、日本で走っているような普通の車になってしまった。
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【回顧録】 アポロ11号

【回顧録】 アポロ11号2022年3月10日 10:34:56 作成1969年7月24日16時50分35秒 (UTC) アポロ11号は月面に着陸した。 まだ学部学生のころで、祐源などが阪大に居た時期で、この着陸の実況は、阪大の研究室で夜中に見たと思う。 他に2‐3人居たと思うが忘れた。ケネディが月に行くと宣言して、10年でそれが実現。 やらないといけないことは多いが、月と言う非常に分かりやすい目標が良かったと思う。 しばしば目標設定の好例として紹介している。あの頃がアメリカが一番輝いていた頃だと思う。 あの時の大型の車もその後は、日本で走っているような普通の車になってしまった。
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【回顧録】 大阪府立大学 その3 大学院

【回顧録】 大阪府立大学 その3 大学院2018年7月23日 17:15:11 作成1970年に卒業の予定だったが、60年安保の印象が強烈だったので、70年は見てみたいと思ったのと、このまま就職するのもイヤだと思って、留年と言う手もあったが、少し格好が悪いので、当時の大学院のいわゆる入試には数学がなかったので、数学が苦手であるので、これなら良いと思って入院を決心したら、今年から数学を含めると言う事になって、大慌てで数学を勉強し直した。 一番真面目に勉強したのではないかと思う。その結果、私とIBMに行った藤田、大学に残った丸岡の3人が大学院に進んだ。同時に同じ講座で3名も大学院に行くのは異例で、...
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【回顧録】 大阪府立大学 その2

【回顧録】 大阪府立大学 その22018年7月23日 16:50:23 作成4回生になると、講座に配属になって、専門が決まる。 いつもはあまり勉強せず、寝てばかりで、午後の授業では、いつも寝ていて何かざわざわすると思って起きたら授業が終わって、みんな出て行くところだった。 のんびりした時代だった。現役の頃に阪大の大学院の社外講師で、授業を1コマ受け持ったが、寝る人は全く居らず、みんなちゃんと聞いている。 しかしレポートを出してもらうと、ほとんど聞いていないことがわかる。 一人だけ、非常に高く評価してくれたのが居たが、今はどうしているのか。勉強はしなかったが、唯一「制御理論」だけは面白くて、一番...
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【回顧録】 北海道旅行

【回顧録】 北海道旅行 【回顧録】 北海道旅行2019年5月11日 10:45:19 作成5月8日に加納と話をしたときに、北海道旅行の話になって、ほとんど忘れていたが少し思い出したので、忘れないうちに書いておく。学生時代は毎年北海道に行っていた。 最初は祐源と同じ阪大電子の上田君と言うのと一緒に行った。 列車で行って札幌辺りからレンタカーを借りた。 当時のサニーで39万円。 ライバルはカローラで似たような値段で、タイヤが大きかったのか。 当時の車は燃費を上げるために板金が極めて薄く、当時やっていたアマ無線のアンテナを取り付けようとして、ドリルの歯を当てただけで穴が空いた記憶がある。レンタカーを...
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【回顧録】 大阪府立大学

【回顧録】 大阪府立大学2018年7月23日 16:39:00 作成一浪して入学した府立大学は面白かった。 一番難しかった電子にも入れたし、特に後半から大学院時代は面白かった。当時の府立大学は、あまりメジャーでは無くて、校舎も昔の馬小屋と言われていたような古い建物もあり、池の向こうは草ぼうぼうで、その向こうを農学部の馬が闊歩していた。 今では、全ての土地が開発され、新しい建物に替わり、大阪女子大と合併したせいもあるのか、女の子がやたらと目に付くようになった。 当時はさがしても居なかった。 一人でも入ってくるともの凄く珍しがられた。1ー3回生はどうと言うことも無く、最初は上六からバスで難波に出て...
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【回顧録】 四條畷

【回顧録】 四條畷 【回顧録】 四條畷2018年7月31日 16:29:25 作成四條畷父親に車で連れて行ってくれと言われて、飯盛山の麓にあったと思うところに行ったことがある。 確か福岡さんといったはずだが、関係が不明。 家の中には入らず、車の中で待っていたので、どんな人かも分からず。 一度は治さんに聞いたことがあるが、知らないと言っていたので、秦の関係では無いよう。
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【回顧録】 大和実業、ニコラス、葬儀、ロータリークラブ

【回顧録】 大和実業、ニコラス、葬儀 、ロータリークラブ2022年1月20日 16:41:09 作成大和実業、ニコラス、葬儀 、ロータリークラブ父親は、成和貿易と言うところを辞めて、自分で大和実業を立ち上げた。 当時は取締役が7人必要で、結構大変だったと思う。 貿易商をやっていて主な取引先はフィリピンだったと思う。 しかし切手を色々貯めていて切手は世界中のあちこちの所があってその切手を見ていていろんな国の名前を覚えたと思う。海外出張も、よくやってやっていて伊丹空港によく送っていたり迎えに行ったりした。 最初のころはまだ進駐軍がいて、進駐軍の白い建屋が残っていて、その事務所でイミグレをやっていた...
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【回顧録】 天文少年

【回顧録】 天文少年 【回顧録】 天文少年2018年7月31日 16:29:57 作成中学生の頃は、天文少年だった。 初めて星空を認識したのが、春だったので獅子座などは印象が深い。 一番好きになったのは、琴座で、小さな星座だが綺麗だ。 当時好きになった子が小さかったので、その印象も有るのかも知れない。中学の近くの名前は忘れてしまったが、かわいい顔の男の子も天文少年で、よく話したことがある。望遠鏡が欲しかったが、当時は高くてとんでもなくて、紙の筒にレンズをつけたおもちゃみたいなのが、せいぜい手に入るモノだった。 少しでも大きなモノが欲しかったので、板で丸は作れないので、四角の筒を作って、そこにレ...
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【回顧録】 幼稚園と松尾家、ニコラス

【回顧録】 幼稚園と松尾家、ニコラス2018年7月21日 17:22:14 作成幼稚園は、山本の駅の横の交番のあるところにあった幼稚園に行っていた。 跡地は公園になっていて、そこに由来が書いてあったと思う。 松尾さんの朝子ちゃんと一緒に撮った写真があって、おそらく一緒に通ったと思う。母親と松尾さんの奥さんと仲が良くて、親戚外では一番付き合いが多かったように思う。 朝子ちゃんとは、屋敷の西半分の、現在では売却したところにブランコがあって、そこで何故か大げんかして、それいらい疎遠になった。 一度道で見かけたことがあるくらいで、全く音信不通になった。松尾さんは仕手株で有名だった松尾橋梁の社長スジで、...
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【回顧録】 アマチュア無線等の資格

【回顧録】 アマチュア無線等の資格2022年3月2日 11:21:11 作成アマ無線も別稿で書いたと思うが、中学生の頃に非常にこれに、はまった。 座敷の廊下の端に机を置いてシャックとして使った。 なぜそこに置いたかと言うとそこからその上にちょうどアンテナを伸ばせて駐車場のとこから、蔵の上までこれが7メガ 20m のアンテナを綺麗に張れるし、そのど真ん中にあるのでそこにおいた。 ここで夜中まで延々と喋っていたということを覚えてる。今でも名残の穴とかコンセントとか残ってるんではないかと思う。 これで Y型ダイポールというの作って、 Y 型っていうのはアンテナを一本の線にしておいて給電をその間から入...
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【回顧録】 小学校時代 その2 電気科学館

【回顧録】 小学校時代 その2 電気科学館2018年7月23日 16:19:59 作成小学校では、先生が板書したものを書き取ると言う事をしなかった。 ある時に参観に来た母親が、何もしないのを見てびっくり仰天して、ノートに書くものだと教えてくれた。 別にその時に理解してしまえば、それで終わりと思っていた。他の教科は別にして、理科だけは良く出来た。 理科の先生は青木と言う人で、TVに良く出て実験をする何とかと言う人と印象が似ている。 ある時に、湿度の問題が出て、湿球と乾球の温度差と乾球の温度の表で湿度を計算する問題と言うか設問があったので、その通りにやって答えを出すと、クラスの誰も出来なくて、一躍...
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【回顧録】 越境入学の小学校、中学・高校

【回顧録】 越境入学の小学校、中学・高校 【回顧録】 越境入学の小学校2018年7月21日 17:48:52 作成しばらく前に143年開校していた高安小学校が閉校になった。 本来は、ここに入学しないといけないのだが、距離があるのと、両親が山本に憧れていたので、違法に越境入学して山本小学校に入学した。 母親の友人で、川を挟んで西側にあった吉田さんと言うところに住んでいると言う事にして、勉強机まで用意して入学した。 ずっと問題なかったが、一時越境をチェックするためか、住所毎に分かれるゲームみたいなモノあって、これでバレてしまった。 そもそも集まるべき自分の住所の場所がなかった。たしか一度同窓会をや...
回顧録

【回顧録】 越境入学の小学校、中学・高校 【修正】

【回顧録】 越境入学の小学校、中学・高校 【修正】 【回顧録】 越境入学の小学校2018年7月21日 17:48:52 作成しばらく前に143年開校していた高安小学校が閉校になった。 本来は、ここに入学しないといけないのだが、距離があるのと、両親が山本に憧れていたので、違法に越境入学して山本小学校に入学した。 母親の友人で、川を挟んで西側にあった吉田さんと言うところに住んでいると言う事にして、勉強机まで用意して入学した。 ずっと問題なかったが、一時越境をチェックするためか、住所毎に分かれるゲームみたいなモノあって、これでバレてしまった。 そもそも集まるべき自分の住所の場所がなかった。たしか一度...
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【回顧録】 井戸館

【回顧録】 井戸館 【回顧録】 井戸館2018年1月16日 17:58:05 作成リフォームしたベランダに井戸がある。 御影石で井戸側を作った立派なもの。元はここに井戸館があって、そこで釣瓶式の水桶で水を汲んで使った。 さらに日立製の立派なポンプがその上に乗っていて、これで屋敷内に水を供給していた。 台所と風呂場、2階はトイレと潰してしまった暗室に供給。 前栽も玄関の左手のトユの所と裏の小さな築山のところにあった。 建物の下を通っているので、この屋敷を建てたときに通したものと思う。井戸水は当時は綺麗で美味しかった。 台所に水瓶があって、そこにポンプで水を溜めて、ひしゃくで飲んでいた。 井戸館に...
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【回顧録】 小学校の先生たち

【回顧録】 小学校の先生たち 【回顧録】 小学校の先生たち2018年7月21日 17:38:22 作成小学校の校長先生は、当時はもの凄く立派な人だと思っていたが、今思うと普通のおじさんだった。最初かどうか忘れたが、池田と言う女の先生が居て、帰り道の塀のモルタルが矧がれていたので、それを割ったら、言いつけられて、エラく怒られた。 非常に良く覚えているので、余程怒られたのだと思う。 当時は進駐軍の命令でBBCだったか、殺虫剤を服の中に吹き込まれて、ノミ退治をしなくていけなかった。女の子は髪の毛に噴霧された。 今では発がん性のあるとんでもない方法だが、これがたまたま行われていて、この時間でやっと解放...
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【回顧録】 中学時代の思い出の追記

【回顧録】 中学時代の思い出の追記 【回顧録】 中学時代の思い出の追記2020年2月18日 10:10:16 作成「病気とけが」の稿で書いたように、中学時代に爆発事故を起こして大騒ぎになったが、新聞沙汰にはならなかった。 火薬にリンを入れたのが間違いで、これでショックで爆発した。中学時代に浅沼稲次郎という社会党の党首が刺されたのを実験室で聞いて、それをまだ覚えている。 結構印象に残ったのだと思う。 何とか言う科学の先生だったがビーカーでチキンラーメンを作っていたことをよく覚えている。
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【回顧録】 答志島などの思い出

【回顧録】 答志島などの思い出 【回顧録】 答志島などの思い出2019年6月17日 15:37:26 作成鳥羽に来たので思い出したが、子供のころに鳥羽に海水浴に来て、答志島に行ったことがある。 どこか全く覚えていないが、海岸に割と近い民宿みたいなところだったと思う。 どこかで三味線を弾いている音が聞こえた記憶がある。10年ほど前に答志島に行ったときに、見てみたが当時を思い出さない。 和具と桃取の間の海岸だったような気がする。イルカ島にも行ったような写真もあるが、記憶はない。その前かどうか忘れたが、岬町の方に行ったときは、妙な男に絡まれて、一生懸命逃げたような記憶がある。 その時かどうか忘れたが...
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【回顧録】 祖母タカその3

【回顧録】 祖母タカその3 【回顧録】 祖母タカその32018年2月1日 9:41:09 作成祖母の頭頂部は毛が抜けて禿げになっていた。 昔は日本髪を結うときにここで髷を支えるので、髪の毛に負担がかかり、歳を取ると剥げてくるそうだ。 ここに小さな付け毛を、何か黒いものを暖めて、接着していた。 これが不思議なので、幼い頃に横で見ていたと思う。 昔はウグイスの糞で顔を洗ったとか、当時なりののスキンケアが有ったらしい。井戸館の南側に鶏小屋があったが、更にその南に小便器があって、ここで祖母は立ったまま小便をしていた。 野良仕事をしていて、イチイチ履き物を脱いでトイレに行くことは無かったようだ。夜は現在...
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【回顧録】 祖母タカ その2

【回顧録】 祖母タカ その2 【回顧録】 祖母タカ その22018年1月24日 12:21:33 作成祖母タカは、器用な人で何でもこなす。 永田に嫁に行った好子おばさんも、何でもやった。 現在のベランダの前の築山の所は、門屋の建物の続きで納屋になっていて。 その北隣が井戸館と言うことになる。 この納屋で祖母がニワトリを飼っていて、戦後の何も無いときに卵が貴重だった。 卵を横に並べて、新聞紙にくるんで持ち運びするが、器用に包んでしまう。門屋の西の建屋の前が三和土になっているが、その西にも納屋があって、そこからずっと三和土を通って端の方まで結構距離があって、ここに糸をたくさん通して、ねじれた杼(ひ...
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【回顧録】 子供のころの旅行

【回顧録】 子供のころの旅行 【回顧録】 子供のころの旅行2022年2月7日 11:45:48 作成子供の頃はあちこち遊びに行ったことを覚えている。 ある時は南海難波の駅から電車に乗って淡輪の方に行ったような気がする。 その時かどうかは忘れたが、電車はものすごく混んでいて、窓から中に入れられた。 現地では何か怪しい人に追いかけられて、一生懸命みんなで逃げたようなこともあったような気がする。そこかどうか忘れたが父親が催し物のクイズに飛び入り参加して音楽の題名を当てるのだが、確か「たぬきばやし」だったと思うが、それを当てたのを覚えている。他は伊勢の答志島に行ったこと覚えていて、先日行った時にどこか...
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【回顧録】 子供のころの初めての本

【回顧録】 子供のころの初めての本 【回顧録】 子供のころの初めての本2022年3月2日 11:36:51 作成子供の頃のに初めて読んだのはマスの代旅行という本で、これは別稿で書いたように小学校5年か6年の時に、盲腸のの手術をして家で寝ていた時に友達がくれたもので、これが初めて読んだ本格的な本で、その後は若くして亡くなった山下先生の下宿に行ってそこで色々見せてもらって借りて帰った記憶がある。他でよく覚えているのは空中列車地球号と土星へ行く少年。 両方とも最近ヤフオクで入手したが、地球号の方は今読んでも、子供には少し難しい。 この本でマチュピチュというのを知って、いつからマチュピチュに行きたいと...
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【回顧録】 ニワトリと犬と蚊取り

【回顧録】 ニワトリと犬と蚊取り2018年1月24日 13:18:28 作成人間以外の動物は、主にニワトリと犬が物心ついたときからいつも身近に居た。ニワトリは井戸館の南の建屋と今の駐車場のところに飼っていた。 春にお逮夜だと思うが、そこでひよこを買ってきて、電球で暖めながら育てるのである。まだ残っていると思うが、藁で編んだ丸い大きな入れ物の中で育てた。 大きくなると四角に組んだ金網を上から被せるもので、逃げないようにしていた。 これはまだ残っていると思う。いつもニワトリの卵を取りに行くのが役目で、建屋の一番奥に産卵場があって、そこにいつも2ー3個の卵があった。 産みたては暖かくて気持ちが良い。...
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【回顧録】 ケガ 追記

【回顧録】 ケガ 追記2021年2月4日 22:11:24 作成子供の時にナイフ鞘に入れて刀を抜くマネをして、抜いたら鞘の無い部分で指を切ってしまった。 それを見ていた祖母が、すかさず切れた指を押さえてくれた。結構深く切れて、今でもうっすらと傷跡がある。あるときは目にゴミが入ったが、祖母が舌と目蓋の舌に差し込んで取ってくれた。こう言うことはすかさずやるので、頼りがいがある。それ以外に大きなケガはしなかった。 別項の爆発事故は最大のケガで、一晩で胸の上に置いていた左手から血が滴っていた。 今でも大きな傷跡がある。
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【回顧録】 鉱石ラジオと噴射飛行機

【回顧録】 ものつくり2018年1月15日 18:07:36 作成少し大きくなって、父親が何を考えたのか、鉱石ラジオを組み立てることになり、半田付けが必要になった。 家にはないので、自宅の前の道を東に行って突き当たった所に津田電気と言うのがあって、そこに自分で借りに行った事を覚えている。 余程作りたかったのか、恐る恐るであるが、それでも借りに行ったと言うことになる。模型はいろいろ作ったが、印象深いのは、火薬を仕込んで、その噴射で飛行機を飛ばすと言うのがあって、火を使うと言うので、父親についてきてもらって畑でやったが、何回やっても失敗したので半泣きになってしまって、父親から泣くなと言われたことが...
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【回顧録】 子供の頃の思い出(どんこう記事)

【回顧録】 子供の頃の思い出(どんこう記事)2018年3月5日 18:51:12 作成私の子供の頃、昭和20年代後半は、大字万願寺古くは高安郡万願寺村には、残念ながら現在ではまったくありませんが、近所にお店は4軒ありました。 万願寺の村は、北から式部(しくい)、御領(ごりょう、ごうじょ)、堂垣内(どかいと)、恩地川を挟んで新家に分かれています。 真ん中の御領(現在では中の辻)の八幡神社の西には広大な久保田屋敷があって、現在は5階建てのマンションになっています。マンションの東南角の、今はお地蔵さんのところに、柳川さんと言う万屋(よろずや)があり、ここで日用品とか駄菓子とかを売っていました。 よく...
回顧録

【回顧録】 幼少期の記憶

【回顧録】 幼少期の記憶 【回顧録】 幼少期の記憶 3歳頃2018年1月10日 12:41:18 作成2番目の孫が出来たので思い出したが、妹の照子が出来たとき、つまり2歳11ヶ月頃だったはずに、眠っていてハッと気が付いた事を良く覚えている。 覚えていると言うかそう思う。 考えてみたらちょうど今これを書いている、マサにこの場所に寝かされていて、ハッと目が覚めたというか気が付いて。 恐らく母親がそばに居なかったので不安になったのかも知れない。 その後は泣いたのかは思い出さない。 この場所に寝ていたと言うのは後で誰かに教えられたのかも知れないが、もう聞く相手も居なくなってしまった。その後だと思うが、...
回顧録

増田 清の生い立ち

ウキペディアに掲載しているもののコピー増田 清(ますだ きよし、1947年 - )は大阪府出身の実業家。生い立ち八尾市中河内郡高安村で1947年に生まれる。貴族議員であった久保田真吾の隣家に当り、交流があった。4代前の増田清兵衛が江戸後期に造り酒屋を開業し免許は140石であった。当時の中河内地区で4箇所あった造り酒屋のうちの一つであったが、明治政府の酒増税により廃業してしまった。名前の「清」は清兵衛に由来するとのことである。地元の小学校より、高津中学校、高津高等学校へと進学。 1972年に大阪府立大学電子工学科修士課程を修了した後、オムロン株式会社(当時の立石電機株式会社)に入社し、主にシステ...
よもやま話

【回顧録】 セカンドシステムと製品開発の極意

【回顧録】 セカンドシステムと製品開発の極意 【回顧録】 セカンドシステムと製品開発の極意2024年2月22日 15:02:42 作成セカンドシステムと製品開発の極意成功した後のセカンド 2番目の商品なり システムは必ず失敗するというお話。これは、若いころ IBM のプログラミング作法とかいう本を読んでいた時に書いてあって、 未だにこれだけはよく覚えていて、 それで自分でもこれ を分かってるつもりでも、実際に セカンドシステムにして失敗させたことは何回もあるので余計に印象に残っている。何かを作ってそれで ビジネスを立ち上げるというのはよくある話だが、最初のものは水準以上であれば必ず成功すると思...
よもやま話

【回顧録】 アメリカの自動車免許試験

【回顧録】 アメリカの自動車免許試験2018年8月24日 17:04:28 作成増田 清 アメリカの場合は、振り返って後ろ見ないといけないです。 最初行った時に助手席に乗って、フリーウエイに合流する時にバッと振り返るのでビックリ。 日本なら前方不注意になるところ。それで、免許試験会場に行くまで、一生懸命振り返る練習しました。 試験官を助手席に乗せて町中を走るだけですが、お陰で98点で合格。 2点マイナスは、制限速度よりちょっとだけ控えめに走っていたら、後ろから抜かれてしまって、この時に試験官の手が動いて減点。 けどGood Driveと点数表に書いてくれました。この時だと思いますが、Much ...
よもやま話

【回顧録】 ヒューマンアセスメント HA と ガバナンス、テレワーク、決裁権限

【回顧録】 ヒューマンアセスメント HA と ガバナンス、テレワーク、決裁権限2021年8月19日 15:55:47 作成オムロンの管理職試験は結構厳しい方だと思う。 筆記試験は当然あるけども一番の難関は三日間やる研修という名の選抜試験のヒューマンアセスメント研修。 これでその人の心の奥底まで全部さらけ出されてしまうのが非常に厳しい。一番最初に受けたのは課長試験だったけど、この時はあまりによく分からなかったので、点数は良くなかった。みんなに何でやと言われた。 いずれにしても人数が多かったので1年ほど、他の人と同じように昇進を遅らせられたと思う。 最後の晩に研修センターの地下で講師の人といっぱい...
不動産関連

【相続メモ】 不動産の法人所有と個人所有

【相続メモ】 不動産の法人所有と個人所有2019年1月8日 8:51:26 作成昨夜いろいろと考えていたが、イーストヒルズ山本を建てる時に散々検討したが、これと言った結論は無かった。税理士などが曰く、若い時は法人、年取ると個人。しかし、大分経ってよく考えるとやはりプラスマイナスがある。【法人所有のメリット・デメリット】相続は株式で行えるので、相続人の若い内から少しずつ暦年贈与をする。理論的には、生まれた時から可能。所得を給与で分散できると言うのが、一般的な見かただが、給与生活に入っているはずなので、もらっている給与の上乗せになるので、全体の所得税が上がる。また専業主婦になっている場合は、現時点...
よもやま話

【回顧録】 飛行機のFクラス

【回顧録】 飛行機のFクラス 【回顧録】 飛行機のFクラス2019年6月17日 15:56:42 作成一番最初にFクラスに乗ったのは、伊丹から出るサンフランシスコ行きのUAのアップグレードが最初だった。 どうも日本人のビジネス客を狙い撃ちにして、どんどんアップグレードしていた様子。 それ以来はほとんどFクラスに乗った。お気に入りは2A か2L 行きは2Aで、着陸の時にサンフランシスコが見える。逆に帰りは、2Aは日が差すので、シェードを下していても明るいので寝れない。運が良いと八尾の家が見えるかもしれないが、ほとんど真上なので1回見えたかどうか。一番前は、前に荷物を置けないので避けるが、家族と乗...
よもやま話

【回顧録】 農作業

【回顧録】 農作業 【回顧録】 農作業2018年2月10日 14:36:15 作成明さんの後を受けて、徐々に広げて、現在の畑にしたが、耕運機置き場、作業用のハウス、肥料小屋などを作って、最後にハウスの東側を作って、西側を後で追加した。 連棟の間の継ぎ目をどうするかが差異が最大の問題で、結局すっきりした解決策はなく、現在のやり方になった。畝はだんだんと増やして、最後は東南のビワの木の下の畝を今年は追加することにした。 耕運機小屋も、ビワの木のところに移したいが、なかなか進まない。東北の隅は、一時畝にしていたが、虫が多いので、その後はミカンを植えたりして、果樹園にした。作業ハウスの周りのラベンダー...
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【回顧録】 美貌 アマチュア無線と天文

【回顧録】 備忘 アマチュア無線と天文 【回顧録】 タイトル2020年3月15日 22:48:08 作成
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【回顧録】 山の墓地の話

【回顧録】 山の墓地の話 【回顧録】 山の墓地の話2018年1月10日 13:09:57 作成さらにその後、山の法蔵寺にある墓地まで棺を担いで行って埋葬した。 この時は寺の正面では無くて、裏の山道から直接墓地に運び上げたような記憶がある。大工をやっていた吉松(よっしゃん)の肩に乗せられて行ったように思うが、どうも記憶が鮮明ではないので、後で誰かに言われたのでそう思ったのかも知れない。墓穴を掘るときは印象が深いはずだが、その記憶は無い。 当時は最後の土葬で、埋葬したところはこんもりした盛り土になっており、防護のために竹で柵を組んであって、卒塔婆が立てられていた。 その後骨を取り出して洗って、墓石...
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【回顧録】 屋敷の裏側、屋敷の境界

【回顧録】 屋敷の裏側、屋敷の境界 【回顧録】 【回顧録】 屋敷の裏側、屋敷の境界2018年2月20日 21:15:59 作成元の家は裏が玄関だったそうで、一度裏口から人がやってきてビックリした。その流れで裏口は結構立派に出来ている。 表の門屋は元の土蔵の一部をぶち抜いて門としたもので、元々は裏だった。 長屋門に見えるが、実際は土蔵門である。 屋根裏に上がってみると、門の部分の部材は新しく、他はかなり古い。 恐らく江戸時代に遡ると思われる。 以前の母屋が慶応3年か5年つまり明治元年ぐらいだが、それよりも古いかも知れない。 古い写真を良く見ても、どっちが先に出来たのか、イマイチ良く分からない。 ...
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【回顧録】 屋敷の周り 東側と南側

【回顧録】 屋敷の周り 東側と南側 【回顧録】 屋敷の周り 東側と南側作成日時 2018年3月11日 13:47:40東側は、枯れてしまったが大きな何とか(忘れた)の木で、子供のころは落ちた実を拾ってよく食べた。 他でも書いたが、この木は久保田と隣の何とかさん(忘れた)の境界になっていたことが後で分かった。 当時はウチの塀にもたれかかって、空き地の正面にあって、その左側に隣の家の掃き出窓が直接あった。 それをその土地を買った木元さんの父親が、裁判を起こして今の境界つまり元の木のところまで戻したということだった。 ウチの土塀ももう少し南側まであって、その基礎を壊す段になって、それも面倒なので、少...
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【回顧録】 プログラミングと数学

【回顧録】 プログラミングと数学 【回顧録】 プログラミングと数学2024年2月22日 14:17:58 作成プログラミングと数学若い頃から数学は苦手だった。大学院に行くことを決めた時も 大学院の試験は数学が無いということで 行く気になったが、直前になって数学 も試験に入るということになってしまって、大慌てで勉強した。 しかし大学院の成績で全部A だったが 数学だけはB だった。 授業を聞いてても さっぱりわからなかったが、 今なって考えると、 どうも あれは量子力学の確率論を教えてもらっていたような気がするし、さらに ハミルトニアンとかいう 、おそらく 流行りだったと思う 量子力学の 行列 ...
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【回顧録】 酒屋の清兵衛

【回顧録】 酒屋の清兵衛 【回顧録】 酒屋の清兵衛2018年1月12日 22:24:04 作成今の大東さんが住んでいるところに酒屋があった。 清平の次男だが清兵衛を引き継いで酒屋をやっていた。 もっとも造り酒屋では無くて、酒を売っていただけだった。 この清兵衛は結構しっかりした人で、当時(明治の終わりから大正)には、増田一族のトップだった。 お宮の太鼓台の鳴り太鼓の中にも筆頭に名前があるし、玉祖神社の鳥居の横にある灯籠も清兵衛の寄進。 南の通夫さんの話では、どこか東の方に清兵衛の名前が入った石橋があったと言うことだが、本人含めて誰も知らない。 ちなみに長男の安平は、あまり出来が良くないのか、親...
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【回顧録】 近鉄八尾駅と周辺

【回顧録】 近鉄八尾駅と周辺 【回顧録】 近鉄八尾駅と周辺2018年7月31日 16:28:28 作成近鉄八尾駅と周辺TVを見ていたら昔の八尾駅の写真が出てきたので、思い出したこと。 元々の八尾駅はもっと西側にあって、フラワーロードの所にあった。 バス停があって、駅舎は平屋で、東側に踏切があって、駅舎と反対側に映画館があって、祖母と見に行った。 初代のゴジラも見た。 東映の時代劇で、切り落とされた片腕が川に流れてきた場面があって、余程のインパクトがあったのか、これを鮮明に覚えていた。 その後、たまたま恐らく同じ映画と思われるのをTVで見たが、一見して作り物と分かる片腕だった。 当時は実感があっ...