回顧録

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【回顧録】 子供のころの旅行

【回顧録】 子供のころの旅行 【回顧録】 子供のころの旅行2022年2月7日 11:45:48 作成子供の頃はあちこち遊びに行ったことを覚えている。 ある時は南海難波の駅から電車に乗って淡輪の方に行ったような気がする。 その時かどうかは忘れたが、電車はものすごく混んでいて、窓から中に入れられた。 現地では何か怪しい人に追いかけられて、一生懸命みんなで逃げたようなこともあったような気がする。そこかどうか忘れたが父親が催し物のクイズに飛び入り参加して音楽の題名を当てるのだが、確か「たぬきばやし」だったと思うが、それを当てたのを覚えている。他は伊勢の答志島に行ったこと覚えていて、先日行った時にどこか...
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【回顧録】 子供の頃の思い出(どんこう記事)

【回顧録】 子供の頃の思い出(どんこう記事)2018年3月5日 18:51:12 作成私の子供の頃、昭和20年代後半は、大字万願寺古くは高安郡万願寺村には、残念ながら現在ではまったくありませんが、近所にお店は4軒ありました。 万願寺の村は、北から式部(しくい)、御領(ごりょう、ごうじょ)、堂垣内(どかいと)、恩地川を挟んで新家に分かれています。 真ん中の御領(現在では中の辻)の八幡神社の西には広大な久保田屋敷があって、現在は5階建てのマンションになっています。マンションの東南角の、今はお地蔵さんのところに、柳川さんと言う万屋(よろずや)があり、ここで日用品とか駄菓子とかを売っていました。 よく...
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【回顧録】 祖母タカ その2

【回顧録】 祖母タカ その2 【回顧録】 祖母タカ その22018年1月24日 12:21:33 作成祖母タカは、器用な人で何でもこなす。 永田に嫁に行った好子おばさんも、何でもやった。 現在のベランダの前の築山の所は、門屋の建物の続きで納屋になっていて。 その北隣が井戸館と言うことになる。 この納屋で祖母がニワトリを飼っていて、戦後の何も無いときに卵が貴重だった。 卵を横に並べて、新聞紙にくるんで持ち運びするが、器用に包んでしまう。門屋の西の建屋の前が三和土になっているが、その西にも納屋があって、そこからずっと三和土を通って端の方まで結構距離があって、ここに糸をたくさん通して、ねじれた杼(ひ...
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【回顧録】 祖母タカその3

【回顧録】 祖母タカその3 【回顧録】 祖母タカその32018年2月1日 9:41:09 作成祖母の頭頂部は毛が抜けて禿げになっていた。 昔は日本髪を結うときにここで髷を支えるので、髪の毛に負担がかかり、歳を取ると剥げてくるそうだ。 ここに小さな付け毛を、何か黒いものを暖めて、接着していた。 これが不思議なので、幼い頃に横で見ていたと思う。 昔はウグイスの糞で顔を洗ったとか、当時なりののスキンケアが有ったらしい。井戸館の南側に鶏小屋があったが、更にその南に小便器があって、ここで祖母は立ったまま小便をしていた。 野良仕事をしていて、イチイチ履き物を脱いでトイレに行くことは無かったようだ。夜は現在...
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【回顧録】 幼少期の記憶

【回顧録】 幼少期の記憶 【回顧録】 幼少期の記憶 3歳頃2018年1月10日 12:41:18 作成2番目の孫が出来たので思い出したが、妹の照子が出来たとき、つまり2歳11ヶ月頃だったはずに、眠っていてハッと気が付いた事を良く覚えている。 覚えていると言うかそう思う。 考えてみたらちょうど今これを書いている、マサにこの場所に寝かされていて、ハッと目が覚めたというか気が付いて。 恐らく母親がそばに居なかったので不安になったのかも知れない。 その後は泣いたのかは思い出さない。 この場所に寝ていたと言うのは後で誰かに教えられたのかも知れないが、もう聞く相手も居なくなってしまった。その後だと思うが、...
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増田 清の生い立ち

ウキペディアに掲載しているもののコピー増田 清(ますだ きよし、1947年 - )は大阪府出身の実業家。生い立ち八尾市中河内郡高安村で1947年に生まれる。貴族議員であった久保田真吾の隣家に当り、交流があった。4代前の増田清兵衛が江戸後期に造り酒屋を開業し免許は140石であった。当時の中河内地区で4箇所あった造り酒屋のうちの一つであったが、明治政府の酒増税により廃業してしまった。名前の「清」は清兵衛に由来するとのことである。地元の小学校より、高津中学校、高津高等学校へと進学。 1972年に大阪府立大学電子工学科修士課程を修了した後、オムロン株式会社(当時の立石電機株式会社)に入社し、主にシステ...
よもやま話

【回顧録】 清兵衛 その2

【回顧録】 清兵衛 その2 【回顧録】 清兵衛 その22018年1月13日 18:21:33 作成酒屋の清兵衛は長らく謎の人だったが、通夫さんが写真を持っていて、やっと分かった。 なかなかうるさい人だったようで、どうもDNAが伝わっているような気がする。 由っしゃんも一時ここに出入りしていたが、うるさいので出入りを止めたそうな。 通夫さんの系列の何とか言う人は、清兵衛の紹介で花園の方に就職したようで、親分肌の人だったらしい。 太鼓台の鳴り太鼓にも名前がある。 年表によると、この時期は先代の安平も亡くなって、この人しかいない状態だったらしい。 しかし、その息子の早苗さんは、イケメンで字も達者で、...
よもやま話

【回顧録】 清兵衛 その3

【回顧録】 清兵衛 その32018年1月14日 17:30:26 作成清兵衛の奥さんは、衣摺の中山家から来たおりょうさん。 古文書では達筆で「りやう」と書かれていて、過去帳ではリウとなっていたので、すぐには分からなかった。 いずれは「りやう物語」を書こうと思っている。 安平2歳は、当時は2歳になるまで届けをしなかった様子で、まあ生まれたときが1歳、初めての正月を超えると2歳で、宗門帳をまとめるのが2ー3月なので、生まれてすぐに届けてもこれくらいのタイミングになってしまう。27歳で19歳のリュウを娶って、明くる年には安平が生まれると言う、人生で一番良い気の乗った時に、私が見た宗門帳が書かれたこと...
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【回顧録】 お稲荷さん

【回顧録】 お稲荷さん 【回顧録】 お稲荷さん2018年2月12日 11:26:30 作成北の前栽にお稲荷さんがある。 元々杉皮葺きの覆い屋があったが、腐ってしまったので、社殿が裸になってしまった。 そのまま置いたので、飾りがみんな取れてしまった。 何とか新調しようかと思うが、適当なこれくらいの大きさのものがなかなか無いし、また裸で置くと痛んでしまう。覆い屋の柱は、大分前に腐ってきたらしく、柱の下はセメントで固めてあって、前栽を整理するときに掘り出してしまった。その後も、犬を放し飼いにしていたときに、犬が社殿を荒らして、この時に欄干とかが無くなってしまった。