回顧録

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【回顧録】 はじめに

【回顧録】 はじめに【回顧録】 はじめに2018年1月10日 12:29:16 作成男の孫の誕生を機会に、やっと回顧録を本気で始めることにした。結局いろいろ考えたが、やはり慣れているメールで作ることにした。バックアップも出来るし、Evernoteで編集することにする。今日は日記にも書くが、財産の集計をしてみた。現金預金で1.4億ぐらいになった。 以前は2014年に集計した時は1億ぐらいだったが、贈与を繰り返しても、車を買っても何とか維持できるようだ。
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時系列

増田 鼎 父 1921/08/05 死去 1998/11/26増田 寿子 母 1923/01/14 死去 1996/05/05増田 治子 配偶者 1951/01/19 誕生  増田 康之 長男 1980/08/08 生誕  増田 照子 妹 1950/01/06 生誕  阿部 満智子 義母 1928/11/09 生誕  高津高校   普通科 高校 1965年 卒業大阪府立大学 工 電子工 大学 1970年 卒業1970 大阪府立大学 電子工学科 卒大阪府立大学 工 電子工 院修士 1972年 卒業1972 大阪府立大学 電子工学科 大学院 修士課程 卒オムロン株式会社(当時は立石電機株式会社)入...
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【回顧録】 経歴

【回顧録】 経歴2024年2月1日 9:55:14 作成ウキペディアを大幅に修正したら、クレームが付いたので、バックアップとして収録しておく。増田 清(ますだ きよし、1947年 - )は大阪府出身の実業家。生い立ち八尾市中河内郡高安村で1947年に生まれる。貴族議員であった久保田真吾の隣家に当り、交流があった。4代前の増田清兵衛が江戸後期に造り酒屋を開業し免許は140石であった。当時の中河内地区で4箇所あった造り酒屋のうちの一つであったが、明治政府の酒増税により廃業してしまった。名前の「清」は清兵衛に由来するとのことである。地元の小学校より、高津中学校、高津高等学校へと進学。 1972年に大...
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2018年の5日になってやっと回顧録を書き始める。

2018年の5日になってやっと回顧録を書き始める。 以前に選択したアウトラインプロセッサが行方不明で、よく考えたら、Evernoteで代用できることがわかった。 いずれにしてもEvernoteで共有しないといけないので、同じ事になる。今日はやっと男の子の孫が出来るので、昼から見に行く。 これで大きな出来事は終わった。 生命保険も6年目に入ったので、あと5年。 なんのかんの言っている内に5年が過ぎた。 治子の病状は安定しているし、しばらくは大丈夫。少しEvernoteで文章を書いてみることにする。 使い方がイマイチ分からない。 ツリー構造にはできなくて、タグを付けるだけかな。訂正の方法も分かった...
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【回顧録】 備忘 20210425

【回顧録】 備忘 20210425 2021年4月25日 9:49:20 作成中学生のころに言った初めての伊豆旅行無線を持って行った?台湾旅行シンガポール 出張と家族中国旅行、会社に入った頃に ワンチップ CPU の論文を見つけて会社のゴミ箱をあさって ゲートとカウンターと小さなメモリーで CPU を作ろうとしたことを思い出す メモリーは除くか CPU 本体を作ろうとしたことを思い出すスバルサンバー改造のバギーを作った最初のトランジスタ2 SA 1103勝1敗の話を書く 人生全体ワシントンの黒人タクシー運転手george hara の話主税、主計、税務調査の話
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【回顧録】 立石義雄さんを偲んで

【回顧録】 立石義雄さんを偲んで2020年5月3日 20:27:44 作成立石義雄さんは気遣いが、非常にできる方で、我々にまで気を使っていただいて、逆にこちらがその気遣いにこちらが気を使ってしまいます。 この気遣いは、気遣いの不得手な私は非常に役に立ちました。 また、全身からのオーラがすごい人で、一緒にいると風圧を感じますが、プライベートで一緒に居ると、ふっとオーラが消える時があって、この時は普通の好々爺になってしまいます。 会議などであまり気に入らないことが、あると顔が紅潮して、だんだん赤鬼のようになってきて、なかなか迫力もあって、怖いもので、立石さんが怒っているぞと、末席でささやいていたも...
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【回顧録】 里やう物語

【回顧録】 里やう物語2021年2月12日 16:28:04 作成里やう物語配布されたテキストを見て、わが目を疑った。 そこには「清兵衛」と明確に書かれていた。 古文書講座に参加して間もない頃だったが、それはよく読め読めた。 しかし後で先生に確認に行った。配布されたテキストは、今では差別を助長するとか言って考えられないが、当時の宗門帳という現在の戸籍簿に相当するもので、我が家の北隣の久保田傳助が庄屋の時に書いたもの。 当時の庄屋は現在の市役所の役割を担っていた非常に重要な役割で、だいたい3月頃にその宗門帳を書いて代官所に届け出るということになっていたらしい。宗門帳と言うので宗派別に書かれていて...
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【回顧録】 里やう物語 「内容更新その4」

【回顧録】 里やう物語2021年2月15日 9:53:28 作成【嘉永5年2月 家数人別帳】配布されたテキストの嘉永4年の宗門帳(家数人別帳)を見て、わが目を疑った。 そこには「清兵衛」と明確に書かれていた。 古文書講座に参加して間もない頃だったが、それはしっかり読めた。宗門帳と言うのは宗派別に書かれていて、当家の宗派は当時から大念仏であったので大念仏の信者に属する戸籍が書かれていた。当時は大念仏の信者は少なかったので、清兵衛もトップにあって見つけやすかった。 宗門帳は、現在でいう固定資産台帳の役割も果たしていて、屋敷の大きさや家屋の大きさが書かれていて、これで年貢と言う所得税+固定資産税が決...
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【回顧録】 里やう物語 「内容更新その5」

【回顧録】 里やう物語2021年2月15日 9:53:28 作成里やう物語【嘉永5年2月 家数人別帳】古文書講座で配布されたテキストの嘉永5年の宗門帳(家数人別帳)を見て、わが目を疑った。 そこには「清兵衛」と明確に書かれていた。 古文書講座に参加して間もない頃だったが、それはしっかり読めた。宗門帳と言うのは宗派別に書かれていて、当家の宗派は当時から大念仏であったので大念仏の信者に属する戸籍が書かれていた。 現在の戸籍謄本に相当する。 当時は大念仏の信者は少なかったので、清兵衛もトップにあって見つけやすかった。 宗門帳は、現在でいう固定資産台帳の役割も果たしていて、屋敷の大きさや家屋の大きさが...
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【回顧録】 里やう物語 「内容更新その8」 2021年03月08日(月曜日)14時32分36秒 2025.03.17 修正

【回顧録】 里やう物語2021年2月15日 9:53:28 作成2021年03月08日(月曜日)14時32分36秒里やう物語【嘉永5年2月 家数人別帳】古文書講座で配布されたテキストの嘉永5年1852年の宗門帳(家数人別帳)を見て、わが目を疑った。 そこには「清兵衛」と明確に書かれていた。 古文書講座に参加して間もない頃だったが、それはしっかり読めた。宗門帳と言うのは宗派別に書かれていて、当家の宗派は当時から大念仏であったので大念仏の信者に属する戸籍が書かれていた。 現在の戸籍謄本に相当する。当時は大念仏の信者は少なかったので、清兵衛もトップにあって見つけやすかった。 宗門帳は、現在でいう固定...
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【回顧録】 里やう物語 「内容更新その7 中途」

【回顧録】 里やう物語2021年2月15日 9:53:28 作成里やう物語【嘉永5年2月 家数人別帳】古文書講座で配布されたテキストの嘉永5年1852年の宗門帳(家数人別帳)を見て、わが目を疑った。 そこには「清兵衛」と明確に書かれていた。 古文書講座に参加して間もない頃だったが、それはしっかり読めた。宗門帳と言うのは宗派別に書かれていて、当家の宗派は当時から大念仏であったので大念仏の信者に属する戸籍が書かれていた。 現在の戸籍謄本に相当する。当時は大念仏の信者は少なかったので、清兵衛もトップにあって見つけやすかった。 宗門帳は、現在でいう固定資産台帳の役割も果たしていて、屋敷の大きさや家屋の...
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【回顧録】 里やう物語 「内容更新その3」

【回顧録】 里やう物語2021年2月15日 9:53:28 作成里やう物語【嘉永5年2月 家数人別帳】配布されたテキストの宗門帳(家数人別帳)を見て、わが目を疑った。 そこには「清兵衛」と明確に書かれていた。 古文書講座に参加して間もない頃だったが、それはよく読めた。 しかし後で先生に確認に行った。宗門帳と言うので宗派別に書かれていて、当家の宗派は当時から大念仏であったので大念仏に属する戸籍が書かれていた。 さらには現在でいう固定資産台帳の役割も果たしていて、屋敷の大きさや家屋の大きさが書かれていて、これで年貢と言う所得税+固定資産税が決まっていく。宗門帳の記載は庄屋の傳助がトップで、その後に...
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【回顧録】 里やう物語 「内容更新その2」

【回顧録】 里やう物語2021年2月15日 9:53:28 作成里やう物語配布されたテキストの宗門帳を見て、わが目を疑った。 そこには「清兵衛」と明確に書かれていた。 古文書講座に参加して間もない頃だったが、それはよく読めた。 しかし後で先生に確認に行った。宗門帳と言うので宗派別に書かれていて、当家の宗派は当時から大念仏であったので大念仏に属する戸籍が書かれていた。 さらには現在でいう固定資産台帳の役割も果たしていて、屋敷の大きさや家屋の大きさが書かれていて、これで年貢が決まっていく。宗門帳の記載は庄屋の傳助がトップで、その後に清兵衛、他にも数世帯と、今ではなくなったお寺の境内の記述もあった。...
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【回顧録】 里やう物語 「内容更新」

【回顧録】 里やう物語2021年2月15日 9:53:28 作成里やう物語配布されたテキストの宗門帳を見て、わが目を疑った。 そこには「清兵衛」と明確に書かれていた。 古文書講座に参加して間もない頃だったが、それはよく読めた。 しかし後で先生に確認に行った。宗門帳と言うので宗派別に書かれていて、当家の宗派は当時から大念仏であったので大念仏に属する戸籍が書かれていた。 さらには現在でいう固定資産台帳の役割も果たしていて、屋敷の大きさや家屋の大きさが書かれていて、これで年貢が決まっていく。宗門帳の記載は庄屋の傳助がトップで、その後に清兵衛、他にも数世帯と、今ではなくなったお寺の境内の記述もあった。...
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【回顧録】 里やう物語 「内容更新その6」

【回顧録】 里やう物語2021年2月15日 9:53:28 作成里やう物語【嘉永5年2月 家数人別帳】古文書講座で配布されたテキストの嘉永5年の宗門帳(家数人別帳)を見て、わが目を疑った。 そこには「清兵衛」と明確に書かれていた。 古文書講座に参加して間もない頃だったが、それはしっかり読めた。宗門帳と言うのは宗派別に書かれていて、当家の宗派は当時から大念仏であったので大念仏の信者に属する戸籍が書かれていた。 現在の戸籍謄本に相当する。 当時は大念仏の信者は少なかったので、清兵衛もトップにあって見つけやすかった。 宗門帳は、現在でいう固定資産台帳の役割も果たしていて、屋敷の大きさや家屋の大きさが...
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【回顧録】 井戸掘り

【回顧録】 井戸掘り 【回顧録】 井戸掘り2018年2月10日 14:51:48 作成畑の水遣りに水道を使っていたら、1万円を超えるようになってきたので、井戸を掘ることにした。 掘り抜き井戸は無理なので、打ち抜き井戸にすることにした。 ネットでいろいろな情報があるので、それを参照して、75mm のPVパイプを使うことにする。 途中で大きな石があると、その場所は諦めないといけなくなるので、以前の井戸の付近を少し掘って、その後はパイプを打ち込んでいく。 途中で泥になって、ズブズブと入るようになる。 その後は粘土と砂になって、最後に粘土になったので、そこで掘るのを止める。 詳しくはホームページに載せ...
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【回顧録】 10年目のご挨拶

【回顧録】 10年目のご挨拶2022年3月26日 17:20:40 作成付添人から10年目のご挨拶まあ、こう言うこともあるんですね。 10年前には、最悪3年長くて10年持てば良いと思っていました。今頃は2-3種の治療を試して、さあ次はどうしようか? と言うことになるのではないかと想定していましたが、結果的には長期の寛解状態で、短期的に治癒したのと同じになりました。最初の診察で、主治医にこの病気は絶対に治癒しません、必ず再発しますと宣言されて、その覚悟をしましたが、その時はあまりショックはありませんでした。。最初の治療は R-CHOP で、最初の診断の時の治療は、CHOP と説明されたので、主治...
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【回顧録】 大阪愛蘭会

【回顧録】 タイトル2023年3月10日 18:04:04 作成大阪愛蘭会それでずっと家で自分流でやっていたが、行き詰ってしまったので、その時に農協で知り合った松村さんが蘭のプロ業者だったので、大阪愛蘭会に入れてもらった。 ちょうど咲くやこの花館で展覧会をやっていた時に、入れてもらった。 その時にいたのが坂本さんだったが、他の人は全く知らなかった。 それで次の確か12月の例会に行って一応挨拶をしたがあまりみんな覚えていないみたいだった。例会は毎月あるが、ほとんど出ているが時々出ない時もある。 だいたい構成している人はトップクラスの人と、私みたいな中クラスと本当に初心者の人で、特に最近は若い人が...
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【回顧録】 八幡神社奉賛会と夏祭

【回顧録】 八幡神社奉賛会と夏祭2023年3月10日 11:56:04 作成八幡神社奉賛会と夏祭り八幡神社の関連というのは最初は夏祭りの太鼓台を新調する話からスタートした。万願寺南の太鼓台を新調することになって道夫さんのところが50万ほど出すことになって、もったいない、とかいう話をしていたら、中の辻でも太鼓台を新調したいという話になって、夜の寄り合いに出かけた。前に座っていたのが小川さん、川中さん、村井さんでその時は全く知らない人ばっかりで何をどうしたら良いのかわからなかったが、こちらから聞いたのは、そもそも担き手が居るのかという話をした。 それに対して川中さんの息子とは。その時は知らなかった...
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【回顧録】 北の前栽と排水

【回顧録】 北の前栽と排水 【回顧録】 北の前栽と排水2018年2月12日 11:32:36 作成北の前栽は、元の屋敷時代のメイン前栽だったと思うので、少し古いものが残っている。 こちらに戻ってきたときに、いろいろ整理した。まず草が生え放題だったので、防草シートを敷き詰めた。 キッチンの出入り口の横の築山の西に水道栓があったが、見苦しいので、見えない北側に移し、西側の端にも付けたが、あまり使った事はない。元の水道栓のところに外部への排水升があったが、あまりにも目の前なので、大分沈めて表面からは分からなくしてある。 そこに新しい水道の排水などが行くようになっている。 この部分には外部への排水がな...
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【回顧録】 農業のスタート

【回顧録】 農業のスタート2023年3月9日 12:15:00 作成農業のスタート農地は元々大豆を作ったりしていたと思うが、父親が桐の木を植えて一応畑の形を保ったと思う。 その後は草がぼうぼうとなって荒れ地になっていて伯父の昭さんが今の大きな伊吹の木の周りを数メーター耕して、ナスかトマトを作っていたんではないかと思う。なんとか言う人がシルバーでやってきて一応畑の管理をしていた。 一時物を燃やして周りからクレームを付けられて辞めてしまってそのうちには亡くなってしまった。その後草ぼうぼうになったんではないかと思う。 それで休みの日に草を刈って植わっていたいぶきを抜いた。 これ結構大変な作業だったが...
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【回顧録】 奉賛会と境内地

【回顧録】 奉賛会と境内地2023年3月10日 12:26:27 作成奉賛会と境内地最初、正月の新年会に川中さんが珍しく新年会と言うので、ちょこちょこ行ったら、そこの席で次の奉賛会はお前がやれと言われて、みんなにもそう言われて、しょうがなく引き受けた。 どうも嵌められた感じがする。最初の大仕事は境内地を玉祖神社から取り返すということだった。 明治期に玉祖神社に合祀して、一応玉祖神社の管理下になっていたのだが、なぜか昭和50何年になって、神社名で登記が行われてしまった。 これで取り返すのが非常に大変になった。 そうでもなくても受け側の組織が無いので、移管しにくい。 個人名でやると相続が問題になる...
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【回顧録】 増田文化建て替えと増田マンションリノベーション

【回顧録】 増田文化建て替えと増田マンションリノベーション2023年3月9日 14:05:44 作成増田文化建て替えと増田マンションリノベーション不動産を引き継いでから増田文化を何とかしないといけないと思っていたが、だんだん入居者が減って3軒ぐらいになったので、建て替えをスタートした。 一つは倉庫に使っていたのでこれを空いていた増田マンションの1階に移ってもらった。 それともう一軒は向かいの西増田文化が一つ開いていたのでそこへ移ってもらった。 もう一人の行き場所はなかったが、これは林さんのとこで話をしていると向こうにも古い文化があって、そこに移ってもらうということで、結局引っ越し費用ぐらいだけ...
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【回顧録】 クラウド アジャイルなどの開発手法について

【回顧録】 クラウド アジャイルなどの開発手法について2024年2月22日 11:53:55 作成回顧録 2024年2月22日クラウド アジャイルなどの開発手法についていつだったか覚えていないが、どこかの展示会で出会った外国人の技術者に、また会う約束をして、 青山がどこかへの事務所に行ったと思う。 向こうは スタバのコーヒーで待ってるよと言っていた 。なぜ行ったかというと トヨタの自動車レースの結果をリアルタイムで Web 上に表示するみたいなこと言ってたので 、これは面白いと思って話を別途 聞きに行きました。 要するに その時は Web の画面というのは静的なものというのが当たり前だったのが...
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【回顧録】 父親の死去と葬儀と墓地

【回顧録】 父親の死去と葬儀 と墓地2022年1月29日 15:13:22 作成父親の死去と葬儀アメリカの新しいサニーベルの所のマンションで寝いて、朝8時ごろに起きるとページャーに連絡があったので、早速電話してみるとラッキーにも治子につながって、お父さんが大変だというので、それから急げば飛行機に間に合うので急遽すべての荷物をまとめて大慌てで飛行機に飛び乗った。後で聞くと加藤さんは同じような状況で戻るのに2‐3日かかったとのことで、今回は最短で戻れたと思う。当然その日とか、それ以降のミーティングは全てキャンセルし、飛行機の中からは衛星通信を使って電話をあちこちにした。 衛星通信は1回あたり基本料...
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【回顧録】 ラン栽培

【回顧録】 ラン栽培2023年3月10日 17:48:59 作成大阪愛蘭会とラン栽培50歳ぐらいだったと思うが、その時に通販でサカタで通販で買った蘭の苗をベランダに置いておいたら、蕾が出てきたが、すぐに枯れてしまった。 なぜ枯れたのかよくわからなかったが、要するに温度が低かったせいだと分かったので、こらいかんと思って何とかしようと思って庭の隅に温室を作って、そこで加温して育てて、最初に蕾が出てきた時はどういう開き方をするのか非常に興味津々で毎日眺めていて、非常に感動した覚えがある。 この時の花はチップマリーだった。この温室は木で作って、コーナンでコンパネと材木を買ってきて作った。 横の窓は色々...
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【回顧録】 試作センターの退社と鳥羽マンション

【回顧録】 試作センターの退社と鳥羽マンション2023年1月28日 17:42:30 作成試作センターも服部さんとの折り合いも悪いし、治子の病状も予断を許さないので任期を1年残して代取社長はやめることにした。 サラヤさんの件も残っていたので、非常勤取締役で1年残ることにした。取締役会ではあまり口出ししないようにしていたが、あまりに低レベルの議論が多いので嫌になった。 あんな小さなお金のない会社なのに過大な役員報酬を議決しようとしたり、経営会議を作れとか、取締役会専用の決裁書を作れとか、全然こちらとの波長が合わない話が多すぎた。 結局あとに残って多少の引き継ぎやってくれた寒川さんも結局辞めてしま...
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【回顧録】 金沢の堂下君 【訂正追加】

【回顧録】 金沢の堂下君 【訂正追加】 【回顧録】 金沢の堂下君2022年3月12日 11:48:35 作成金沢で世話になったのは堂下君。 最後は東京に戻ってOFEの何かをやっていたが、その後は不明。 その右腕は橋本君で、マンションの駐車場ゲートを提案してきたが、コスト的には無理なので、最後は強く言って断った。
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【回顧録】 金沢の堂下君

【回顧録】 金沢の堂下君2022年3月12日 11:48:35 作成金沢で世話になったのは堂下君。 最後は東京に戻ってOFEの何かをやっていたが、その後は不明。 その右腕はxx君で、マンションの駐車場ゲートを提案してきたが、コスト的には無理なので、最後は強く言って断った。
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【回顧録】 試作センターの設立 その5 リタイヤ

【回顧録】 試作センターの設立 その5 リタイヤ2022年3月26日 16:39:20 作成2008年は急に忙しくなって、売り上げは2億に達して、創業費を除くと累計で黒字になった。 最初から売り上げゼロを覚悟していたので、これにはビックリした。 大きなテーマは自分と板野君でこなしたので、利益はそれなりに出た。採用もハローワークでどんどん採って、どんどん辞めた。 3か月の試用としたが、これは法的には厳密にはダメだそうな。 98年の年度が終わると、とうとうリーマンショックがやってきて、その秋にはあまり案件がなくなった。 それでも他は半減と言うところが多かったが20%減ぐらいで収まった。 サラヤの大...
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【回顧録】 試作センターの立ち上げ その3 募集設立と出資

【回顧録】 試作センターの立ち上げ その3 募集設立と出資2022年3月19日 13:36:48 作成2006年の年明けから本格的に設立の準備をした。 周りと言うか役所的には、拙速だとか速すぎるとかのクレームがついた。 特に商工部長は後ろ向きだった。産業21の中村専務は、割と前向きだった。 少し変わったところのある人だったが、それなりに力はあったし話もうまい。 斎藤さんのところに行ったときも話してくれた。会社の名前を決めるのも頭が痛い。 産業21の理事会にも諮って、少なくとも勝手に決めたとは言われたくないので、何案かだして意見をもらった。 試作なのでシサクックスにしようかと思ったが、カラオケの...
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【回顧録】 試作受発注システム

【回顧録】 試作受発注システム2022年3月19日 17:19:05 作成京都府からの予算で、受発注システムを作ることにした。 一応は入札をしないといけないので、小林さんが委員会を作って、その結果で入札と言うより、提案型にした。 OSKのXX君をメインにしたが、案の定2つの会社が分割してやることになったので、統一が取れなかった。 片方はツールを使い片方はPHPで書く。取り敢えず、最初の画面から作り出して、だんだんと拡張していったが、ぐちゃぐちゃになってきた。 自分でもこれはまとまるのか心配と言うか自信が無くなってきた。 もの凄い人件費もかかるので、受ける方もだんだんやる気が無くなってきて、最後...
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【回顧録】 京都産大 大西君、先端大 永守氏

【回顧録】 京都産大 大西君、先端大 永守氏2022年3月11日 11:17:00 作成OASが出来てしばらくした後、京都府から研修で1名送るからと言われてやってきたのが大西辰彦。 アチコチ連れ回して、こっちの遊びもあったが、ラスベガスに連れて行って、ゴルフをした。 遠くで雷が鳴りだして、一緒に行ったタックさんは怖がって引き上げていった。その後、産業21に移った後、連絡してきて、お礼にとご馳走してくれた。 その時は京都府を辞めて、亀岡の京都何とか大学に居た。 ここはその後永守さんが買収して、先端大学になった。彼とは時々会ったことがあるが、スタンフォード日本のXXさんの傘寿の祝いでも一緒だった。...
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【回顧録】 試作センター 会社の仕組み

【回顧録】 試作センター 会社の仕組み2022年3月19日 16:16:03 作成完全に新しい、しかも独立の法人を作ったので、今まで不満に思っていたことを全部やった。 日本を占領したときの進駐軍の若い担当になった気分だった。まず採用は、何でもありで、今でいう働き方改革を先取りしていて、正社員、パート、アルバイト、非正規なんでもありだった。 後に就業規則を整備するときは、大変だった。 それぞれにいくつも就業規則があり、相互に矛盾していないようにするにはたいへんだった。経理は自分でやった。 完全に伝票レスで、文房具などは先に見込みで注文して置いた。 小口現金は一度に20万にして、その中から支払った...
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【回顧録】 サイバード とその顛末

【回顧録】 サイバード とその顛末2022年3月12日 11:50:50 作成1998年ごろに、義雄さんの三男の拓雄君から電話で、助けてほしい人がいるので会っ欲しいと言う事で、サイバードのロバート堀君と会った。 虎ノ門の事務所の前に椿山荘があったので、そこで飯を食わせた。 普通に電話しても満席なので、目の前の本社の秘書室から電話させるとOKだった。 全部個室で密談をするのに便利。それで出来立てのドコモに一緒に行くことになった。 ビックネームが欲しいと言っていた。 インテルとも話を付けており、英語もネイティブ並みなので、そっちに行けば、と言った。 アメリカ英語とイギリス英語も使い分けられると言っ...
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【回顧録】 京都試作センター

【回顧録】 京都試作センター2022年5月26日 11:01:53 作成昨日の日経新聞に出ていた話。 公益重視型企業。 コンセプトは京都試作センターとほとんど同じで、びっくりしました。 アメリカでは「ベネフィット・コーポレーション」と言うらしいが、こちらは、誰かが「社会起業家」と言っていて、意味合いは全く違うがその流れで「ソーシャル・エンタープライズ」としました。さらに驚くのは、最初に始めた「Bコープ」の設立が2006年、試作センターの設立も2006年。 偶然ではないと思いますが、当時はITバブルもはじけて、私もバブルに乗っかって、オムロンとして投資の一部をやった後のことなので、何となく投資効...
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【回顧録】 試作センターの立ち上げ その2

【回顧録】 試作センターの立ち上げ その22022年3月12日 17:53:20 作成やっとストレスなく仕事が出来るようになったが、周りでは3か月と持たないと言われていたそうな。 自分でも辞めるなら今のタイミングだと思って、6月の賞与を待っていたが、その前に何とか落ち着くことが出来た。試作センターは、あまり急いでいないような感じで、試作ネットの総会に行ったが、これは初めての総会だったらしい。 その時はまだオムロンのオーラが出ていたらしいが、そのうちに消えてしまった。 会長の最上インクスの鈴木さんは同い年で、相続の話も良くやったし、プロジェクトの進行についても節目節目で報告に行ったが、のれんに腕...
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【回顧録】 試作センターの設立 その4 会社スタート

【回顧録】 試作センターの設立 その4 会社スタート2022年3月19日 15:24:37 作成会社はスタートしたが、年度は7月から6月とした。 これは12月が確定申告、3月がDJC、9月がEHSの決算なので、唯一空いていた6月にした。 最初の年度は1ー2ヵ月にして、7月スタートにしたと思う。京都のデザイングループに依頼して、会社のロゴをデザインしてもらった。 少し古めかしいデザインだが、この会社にはぴったりだった。 これをもとにバッジと名刺を作った。 名刺はソリデックに頼んで統一の名刺を作った。 後に試作プラットフォームと会社名を区別するようにした。 扱うものによってブランドみたいなものを変...
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【回顧録】 試作センターの立ち上げ その1

【回顧録】 試作センターの立ち上げ その12022年3月12日 17:04:06 作成2004年の正月に異動を宣告されて、それからの3月は永遠に思えるように長かった。 案じていた明鏡のビジネスも軌道に乗りそうだったが、開発途中の電池式の液面計とか、電力計が中途半端になってしまった。特許の仕事も中途半端になっており、しかし京都に異動しないといけないので、京都駅前の不動産屋から出たときに、秘書室の広岡君から電話で、産業21に行けと言う。今更しょうがないので、指定の日に行くと、顔を知っている雰囲気。 良く聞くとネットで調べたら出ていたそうな。 役員待遇の理事はオムロンからも何人か来ていた。 元は3つ...
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【回顧録】 残量検知 廣田石油、キャノン、醤油、三谷など

【回顧録】 残量検知 廣田石油、キャノン、醤油、三谷など 【回顧録】 残量検知 廣田石油、キャノン、醤油、三谷など2022年3月11日 11:38:04 作成キャノンの樹脂運搬トレーラーの残量も大分やった。 これがM2Mの最初のテーマになった。 トレーラーの前部を持ち上げて後部から樹脂を排出する。 トレーラーが臨時のサイロになると言う事。 それで後部のタイヤの所に共和電業の圧力センサーを置いて、それを計測することにした。 圧力センサーが小さすぎて、そこにタイヤを正確に置くのはトレーラーの運転手にとってはなかなか難しいとのこと。 しかし一応は実用になった。オムロンの金沢での顧客の廣田石油とはいろ...
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【回顧録】 911と中東政策

【回顧録】 911と中東政策2021年9月12日 13:46:43 作成昨日は例の9.11の20年目だったので、思い出した。 先ほど治子に聞いたら、あの日は康之が二階から降りてきてテレビを見ろ、と言うのでつけたらビルが燃えていたと言ういうことだったらしい。日記を見ても、前の日に東京に行っているので、御殿山のホテルで見たと思う。夕方にビルが火災にあったということでテレビをつけると実況中継をしていたが、そのうちに向かい側のビルに飛行機が突っ込んで、こちら側から見えたと思う。それで飛行機が突っ込んだということになったと思う。 最初はなんかビル火災だと言うことしかわからなかったと思う。当時の日記をやっ...
回顧録

【回顧録】 M2Mプロジェクト

【回顧録】 M2Mプロジェクト2022年3月4日 16:36:54 作成アメリカの投資の話もしぼんでしまってアメリカでの活動を終了して、日本で主に活動を始めて、次に配属になったのが当時の新規事業開発本部で、そこの同窓の先輩の森さんの所へ配属になり、挨拶に行って、2‐3日すると不祥事が発覚して彼は辞めてしまった。 元々強権的なので、うまく行くかみんなハラハラしていたらしい。その時は、もうオムロンを辞めるつもりで、アチコチのヘッドハンターに話をしていた。 大手前のところの事務所にも行ったが、2回目は結局同じ話だった。アメリカの会社の話もあって、八尾の庭に居るときに電話がかかってきて、いろいろ話した...
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【回顧録】 台湾旅行

【回顧録】 台湾旅行 【回顧録】 台湾旅行2022年1月20日 11:34:29 作成台湾旅行台湾には確か2回ほど言ったような気がするがだんだん思い出せなくなっています最初に行った時はどっかのコンピューターアッパーパソコンメーカーにいたと思うんですがそこの工場の工場の工場が非常に良く出来ていてその時点でもう2本とよりレベルが上かもしれないと思った時がありますまあそれ以降っていうかそれその時からもうパソコンのマザーボードは全部台湾製だということになっていますその後で言ったのは確か8常岡さんと一緒にロッキー尾崎と一緒に行ったと思いますロッキー尾崎とは東京から成田から台風の上を飛んでいたような記憶が...
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【回顧録】 M2Mプロジェクト

【回顧録】 M2Mプロジェクト2022年3月4日 16:36:54 作成アメリカの投資の話もしぼんでしまってアメリカでの活動を終了して、日本で主に活動を始めて、次に配属になったのが当時の新規事業開発本部で、そこの同窓の先輩の森さんの所へ配属になり、挨拶に行って、2‐3日すると不祥事が発覚して彼は辞めてしまった。 元々強権的なので、うまく行くかみんなハラハラしていたらしい。その時は、もうオムロンを辞めるつもりで、アチコチのヘッドハンターに話をしていた。 大手前のところの事務所にも行ったが、2回目は結局同じ話だった。アメリカの会社の話もあって、八尾の庭に居るときに電話がかかってきて、いろいろ話した...
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【回顧録】 M2Mまでの流浪期間、ザクソン、イモタニ、ソリデック

【回顧録】 M2Mまでの流浪期間、ザクソン、イモタニ、ソリデック 【回顧録】 M2Mまでの流浪期間、ザクソン、イモタニ、ソリデック2022年3月12日 15:53:16 作成IT研を首になって、アメリカの投資をトムメイスとやっていたり、ロックウエルのアライアンスを探っていたころは流浪の日々だった。 途中で隣のマンションの建設は始まるし、父親は死んでしまうし、個人的には忙しかったが、会社は暇だった。東京でどういう職務だったのか思い出さないが、オムロンは辞めるつもりでヘッドハンターの所にアチコチ行った。 金井さんに紹介されたところは、品川の何処かで話をすると、辞めることに強硬に反対された。 今から...
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【回顧録】 アメリカでの活動の総括【修正】

【回顧録】 アメリカでの活動の総括【修正】 【回顧録】 アメリカでの活動の総括2021年12月7日 11:19:24 作成一番最初にアメリカに行ったのはロータリーの旅行で、父親と治子と3人で行った。 ヨセミテが良かったが、最近行ってみたが、あまり変わっていない感じだった。 その後は会社からの視察旅行に他社と要った気がする。CATの時に本格的に訪問して仕事をした。 しかしこの時は挨拶もろくに出来ず、悔しい思いをして、その後からは、やっと欲しいことを言えるようにして、だんだん英語が分かるようになって来た。往復の飛行機の中で隣通しになるので、この時にいろいろ話して、練習になったと思う。 OMRAC8...
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【回顧録】 IT研究所の顛末

【回顧録】 IT研究所の顛末2022年3月4日 16:13:20 作成最初のころはシステム研究所と言っていたが、そのうちにシステム総合研究所になり、私の時にIT研究所になった。 身軽になったと義雄さん出席のプレゼンで言ったら、笑っていた。この時に作った、4分野の戦略書がその後10年ぐらい使われていた。 元のシステム研究所と開発支援部門が一緒になったし、さらに町田の通信グループと一緒になったので、これらを並べて4分野でまとめた。その後 IT 研究所の所長を突然辞めさされて、アメリカで投資をやってくれと言われたのだが、これはあくまで言い訳で単に外したかっただけであろうと思う。 後任には私より年上の...
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【回顧録】 IT研究所の終焉とオージス総研と自前ビジネス

【回顧録】 IT研究所の終焉とオージス総研と自前ビジネス2022年3月12日 16:38:38 作成最後の拠り所であった技術者もどんどんいなくなり、人事からは引き抜きが多く、良い人材から出していったので、異論もあった。 しかしとうとう終焉になってしまった。 その後は福島君辺りが引き継いだが、何の面白みもない組織になってしまった。EWSがうまく行かなかったので、事業権みたいなものが認められずに、自力で事業を起こせなくなった。 その間に中研は部品の世界に入ってしまったので、それなりに連携はとれるようだが、システム系はビジネスがあって何ぼのものなので、出口を塞がれてしまった。最終的は、私が一番避けた...
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【回顧録】 OASの設立と駐在員、その後

【回顧録】 OASの設立と駐在員、その後2022年3月5日 16:37:14 作成別稿でも述べたが、クパティーノのアパートでとりあえずの事務所をスタートしたが、ここではオフィスは無理なので、その向かいのビルでオフィスをスタートした。 Uホールを借りて、そこの近くのショッピングモールでデスクとか壁にかける絵とかを買い込んで、事務所を立ち上げた。その後も新しい事務所に行くと、その時に買った絵が飾ってあって懐かしいと思った。 社員はまずTAKさんが副社長でベースにして、後は公募したが、一人はユタの人で例のモルモン教で、これはソルトレイクまで会いに行った。 その時に例の常温核融合の記事がUSAツデイの...
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【回顧録】 ハノ ーバーメッセ とドイツ旅行

【回顧録】 ハノ ーバーメッセ とドイツ旅行 【回顧録】 ハノ ーバーメッセ とドイツ旅行2024年2月22日 17:26:29 作成ハノ ーバーメッセ とドイツ旅行いつ のころか忘れたが ハノーバーメッセと言う展示会が、 3月の末 ぐらいにドイツで盛大に行われていて、いつか行ってみたいと思っていた。 ハノーバーの会場は、そんなに大きくない町 なので 宿屋は全部満室で、 要するに 民宿に泊まった。 息子の部屋を開けてもらってそこに 2段ベッド か何かで泊ったような気がする。 それで夜になると、そこのおじさんが出てきてワインをどんどん薦めてくれて、 俺の酒が飲めんのか、という感じのノリで、英語が...