よもやま話

【回顧録】 趣味の音楽

【回顧録】 趣味の音楽 【回顧録】 趣味の音楽2021年3月21日 9:15:40 作成若いころはあまり音楽には縁がなかったが、ある時に安物のギターを買って少し練習した。 このギターはまだ現存している。 当時はカラオケが無かったので、ギターでコードを弾いて、それに合わせて歌っていた。 若山台時代の初期だった。 ギターのコードはオープンの弦を使わないフルのコードで、人差し指で全部の弦を抑えるのが難しいが、出来るようになると、ややこしいジャズのコードのほどんどを、弾くことが出来た。大学時代は、藤田がエレクトーンに凝っていて自作していたので、一緒になってボサノバに凝った時があった。 ギターを担当して...
よもやま話

【回顧録】 畑

【回顧録】 畑 【回顧録】 畑2018年2月10日 13:32:55 作成畑の土地は、元々北側と南側で、今より少し外に出ていた。 どちらもあぜ道程度だったが、道を広げたときに、山本側の境界に合わせて、土地をカットした。その名残が狭い筆として登記されていて、八尾市に移転している。 北側は、三角の土地で、最初は平行に細長いものだったが、父親がこちらの負担が最小になるように三角にしたと言っていた。南側は、何故か平行の四辺形が切り取られている。北側は、西から見ると1mほど道路側に出ていたが、ここに木戸があって、そこから東に向かって出入りしていた。 その北側は田んぼで、いつもはそこを通って近道していた。...
不動産関連

【回顧録】 相続 資産運用上の注意点

【回顧録】 相続 資産運用上の注意点 【回顧録】 相続 資産運用上の注意点2022年3月26日 13:25:55 作成回顧録ではないが、現時点でいろいろ分かったノウハウを記しておく。■ 社会保険について。 定年になったらEHSかDJCの社会保険に加入する。 加入する会社の給与は低く(15万ぐらい)設定しておいて、主要な事業運営者とする。加入しない方は妻に低い給与を払って加入して、自分は非常勤として、多く給与を得る。 妻も同じ。 扶養や国保などは考えない。 現時点ではDJCそのものも加入していないので、いずれは加入する必要がある。 要するに各法人は最低1人は形式上加入する必要があると言う事。■ ...
よもやま話

【回顧録】 物作りについての考察

【回顧録】 物作りについての考察 【回顧録】 物作りについての考察2020年3月14日 13:40:42 作成CATからバブル崩壊までは、日本は世界の工場だと自負していたし、そう信じていた。 しかしオムロンの物作りは時間がかかりすぎる。 最近ではスマホの工場移管から頭出しは10日とかで、オムロンなら3ヶ月というところ。今になると、確かにアセンブリで中国韓国に伍していけるかと言うと、全く駄目で、素材とか部品でないと勝てない。 しかし素材や部品では夢が無い。 出来たらGoogleやAppleになりたかったが、他にこう言うメーカーが存在しないのは、単なる失敗ではなくて、日本では存在出来ないと言うこと...
よもやま話

【回顧録】 清兵衛 その3

【回顧録】 清兵衛 その32018年1月14日 17:30:26 作成清兵衛の奥さんは、衣摺の中山家から来たおりょうさん。 古文書では達筆で「りやう」と書かれていて、過去帳ではリウとなっていたので、すぐには分からなかった。 いずれは「りやう物語」を書こうと思っている。 安平2歳は、当時は2歳になるまで届けをしなかった様子で、まあ生まれたときが1歳、初めての正月を超えると2歳で、宗門帳をまとめるのが2ー3月なので、生まれてすぐに届けてもこれくらいのタイミングになってしまう。27歳で19歳のリュウを娶って、明くる年には安平が生まれると言う、人生で一番良い気の乗った時に、私が見た宗門帳が書かれたこと...
よもやま話

【回顧録】 清兵衛 その2

【回顧録】 清兵衛 その2 【回顧録】 清兵衛 その22018年1月13日 18:21:33 作成酒屋の清兵衛は長らく謎の人だったが、通夫さんが写真を持っていて、やっと分かった。 なかなかうるさい人だったようで、どうもDNAが伝わっているような気がする。 由っしゃんも一時ここに出入りしていたが、うるさいので出入りを止めたそうな。 通夫さんの系列の何とか言う人は、清兵衛の紹介で花園の方に就職したようで、親分肌の人だったらしい。 太鼓台の鳴り太鼓にも名前がある。 年表によると、この時期は先代の安平も亡くなって、この人しかいない状態だったらしい。 しかし、その息子の早苗さんは、イケメンで字も達者で、...
よもやま話

【回顧録】 山の墓地

【回顧録】 山の墓地 【回顧録】 山の墓地2018年1月12日 18:30:44 作成山の墓地は明治26年に死去した観月院清兵衛(清平)のために、安平と清兵衛が当時の16円を翌年に寄進して永代使用しているもので、元々は左に清兵衛、右に安平の墓石があっった。 しかし清兵衛の子孫が逼塞して万願寺から出て行くことになり、そのために墓石も移動した。 いずれ調べたいと思うが、今どこにあるのかは分からない。 その影響で、安平の右にあった南の増田の墓石も、境内の下に下ろした。 今も現存している。
よもやま話

【回顧録】 大和実業とディージェシー

【回顧録】 大和実業とディージェシー 【回顧録】 大和実業とディージェシー2018年2月12日 11:54:37 作成父親は、先生になりたかったらしいし、確かにその方が合っていたと思うが、戦後の状況の中で成和貿易と言うところに就職した。 ここが潰れたか何かで、自立しないと行けなくなって、大和実業を創業した。 当時は取締役は7人とか、資本金の制限とかいろいろな制約があったらしい。 当時の設立時の書類を見つけたが、いつか法事の時に話が出たが、富田林の用木さんも名を連ねていた。初期の頃は住友倉庫にあって、休みの日には、一緒に付いていったこともある。父親は円光寺からの養子なので、家には居づらいのか、休...
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【回顧録】 回顧録再開

【回顧録】 回顧録再開 【回顧録】 タイトル2018年7月21日 14:47:40 作成3月にいろいろ書いて、その後は忙しくなって中断していたが、今年の夏はもの凄く暑くて、昼間は何も出来ないので、やっと回顧録を再開できる。今少し読み直してみると、舌足らずの所が多いので、最後に仕上げるときに、加筆しないといけない。そろそろ子供の頃から書き始めることにする。
よもやま話

【回顧録】 万願寺墓地

【回顧録】 万願寺墓地2018年2月16日 10:18:48 作成万願寺の墓地は東側の久保田の屋敷の高いコンクリート塀があって、寂しいところで、夜には怖くて円光寺に行った帰りに通るのが怖くて、村の中の道をわざわざ通った。 久保田の屋敷の西北の隅の外には長沢という散髪屋があって、ここで散髪をしてもらっていた。 トイレに行ったそのままで顔を剃られて、イヤなにおいがしたのだけを覚えている。 その西には、田んぼの中に少し高いところがあって、石塔かなにか建っていた。 ここには薗光寺?が在ったらしい。散髪屋の東横は池になっていて、周りは田んぼで、湿気の多い家だと思った。その南には六地蔵があって、八尾市の資...
よもやま話

【回顧録】 ファーストクラスと食事

【回顧録】 ファーストクラスの食事2022年2月19日 15:36:26 作成アメリカに行き出した時、伊丹空港から出ていたのはユナイテットだけどだけだったが、ユナイテッドが日本人を狙い撃ちにしてビジネスからファーストにアップグレードしていた。 それで、この時から病みつきになって7ー8割はアップグレードしてくれるので、残りは自分でアップグレードして、ほとんどファーストクラスに乗っていた。 治子と康之は私と旅行するときは必ずファーストクラスだった。まず搭乗時は一番最初に乗れるので、入って行くとアメリカ人のスッチーががハーイと言って迎えてくれる。 席で荷物を置くのだが荷物はスッチーががやってくれるが...
よもやま話

【回顧録】 ハーフムーンベイのレストランの話

【回顧録】 ハーフムーンベイのレストランの話2024年2月22日 12:13:08 作成サンフランシスコの 市内から少し 西海岸沿いに細い道を 下ったところに ハーフムーンベイ というところがあっ た。 アメリカに初めて行って 101を南に下った時に ハーフ ムンベイと言う行き先案内板が目について、 そこを右に曲がるとCATで 初めて行ったVASAのオフィスがあったと思うが、 それをさらに ずっと西に行くとハーフムーンに到着する。 確かに砂浜がずっと半月状態になっていて、非常に優雅な名前だと思って記憶に残っています。それで康之と治子と最後に アメリカに行った時に、治子の友人がサンフランシスコに...
よもやま話

【回顧録】 ゼロックスALTO

【回顧録】 ゼロックスALTO2020年7月13日 10:35:18 作成なぜコンピューターを作ろうということになったかと言うと、若い頃に数理科学という雑誌があって、そこに慶応の所先生が寄稿していて、彼は当時カーネギーメロン大学に居たのですが、日常生活とし、午前中はメールをアクセス、午後は色々研究するというようなサイクル毎日が回ってるということが書いてあって、強烈な印象を持ちました。 アメリカはそんなにすごいものか、思いました。その後ゼロックス PARC研究所が作ったALTOと言うコンピュータの写真があって、このALTOが革新的で A4 1枚を縦型のビットマップディスプレイでモノクロ階調方式で...
回顧録

【回顧録】 お稲荷さん

【回顧録】 お稲荷さん 【回顧録】 お稲荷さん2018年2月12日 11:26:30 作成北の前栽にお稲荷さんがある。 元々杉皮葺きの覆い屋があったが、腐ってしまったので、社殿が裸になってしまった。 そのまま置いたので、飾りがみんな取れてしまった。 何とか新調しようかと思うが、適当なこれくらいの大きさのものがなかなか無いし、また裸で置くと痛んでしまう。覆い屋の柱は、大分前に腐ってきたらしく、柱の下はセメントで固めてあって、前栽を整理するときに掘り出してしまった。その後も、犬を放し飼いにしていたときに、犬が社殿を荒らして、この時に欄干とかが無くなってしまった。
よもやま話

【回顧録】 PaloAlto研究所 回顧録

【回顧録】 PaloAlto研究所 回顧録 【回顧録】 タイトル2023年4月30日 8:03:07 作成今朝の日経でゼロックスのパロアルト研究所がスタンフォードに寄贈されたのとベタ記事がありました。イーサネットもマウスも発明し、ApplePCの発想の元になったし、私のその後の仕事の方向を決めたと言っても良いところです。??寄贈となっていますが、要するに潰したと言うことでしょう。ここで作られたAltoを雑誌で見て、後のスーパーメイトやLunaを作る切っ掛けになりました。A4を縦にフルサイズで表示するのにインパクトがありました。? ?高精細の表示、CPUパワーとプロセスの並行処理、インターネット...
よもやま話

【回顧録】 飛行機の話とアメリカの訪問先

【回顧録】 飛行機の話とアメリカの訪問先2021年3月21日 16:07:59 作成飛行機の中の出来事1989年あたりから2012年ぐらいまで足かけ13年ほどアメリカとの間を往復しました。 年10回として20フライト、それが13で260回ぐらい太平洋の上を飛んだことになります。 年間日マイルで10万マイルを飛ばないともらえない1Kステータスもらってそれで、終身のプレミアエグゼクティブになって、これは意外に便利に使えました。 最近は飛行機に乗らないのであまり役に立ってないですが、ユナイテッドは律儀にもまだそのを通知を送ってくる。 昔はパッケージを送ってきたんですけど、さすがに最近はそれはなくなっ...
よもやま話

【回顧録】 門屋の建屋

【回顧録】 門屋の建屋2018年1月24日 12:29:31 作成井戸館の南隣の鶏小屋の前に犬小屋があって、その犬はニワトリに突かれるのもかまわず、ニワトリの餌を横取りしていた。このニワトリ小屋には蛇が卵を狙って、良く出没した。 見つけて棒でぶら下げて、卵で膨らんだ腹を叩くと卵が割れて、口から出てくる。この納屋は、大分前に潰してしまったが、もの凄く古かった様に思う。 屋根は門屋の建物と同じく竹で噴いてあって、その上に土で瓦を留めていた。 恐らく慶応年間に建てられた母屋の、その前からあったのでは無いかと思う。その南も同じ建屋で、その南の門屋の建屋とは壁があって、それが現在の君子蘭を置いてある所の...
よもやま話

【回顧録】 読書

【回顧録】 読書2018年7月21日 16:46:29 作成虫垂炎の手術をしたあと、叔父と同じように座敷の南側にベッドを置いて寝ていた。 その時に誰かに見舞いとしてもらった「ますの大旅行」と言う本が本を読む最初になったと思う。 谷川で育ったますが海に出て、また戻ると言う話だったと思う。その後に記憶にあるのは、空中列車地球号。 いわゆるSFだが、長距離飛行できる乗り物で世界各地を巡る話。 ここで今では超有名になったマチュピチュが出てくる。 この時以来、いつかマチュピチュに行ってみようと密かに思っていたところ、世界遺産になって、あっという間にトップメジャーの観光地になってしまった。再度読んでみたい...
よもやま話

【回顧録】 祖父安平 【追記】

【回顧録】 祖父安平2018年1月15日 18:09:48 作成謎の人は祖父の安平。 他の人からは「あんぺい」さんと呼ばれていて、大きくなってからも「あんぺいさんの孫かいな」と言われたことがあってビックリ。どうも仏のあんぺいだったよう。 酒屋の清兵衛とは性格が全く反対だったように見える。 声は聞いたことが無い。現在のリビングは元々土間で、椅子の置いてあるところに3連のかまどがあった。その奥は、風呂の焚き口があったので、煙突を共用していたのかも知れない。その北に流しがあって、土間の周りには狭い式台がずっと巡らされていて、その北側の現在の台所に食堂があった。 そこに桜の一枚板の大きなテーブルがあっ...
よもやま話

【回顧録】 祖父安平 【追記】 (1)

【回顧録】 祖父安平2018年1月15日 18:09:48 作成謎の人は祖父の安平。 他の人からは「あんぺい」さんと呼ばれていて、大きくなってからも「あんぺいさんの孫かいな」と言われたことがあってビックリ。どうも仏のあんぺいだったよう。 酒屋の清兵衛とは性格が全く反対だったように見える。 声は聞いたことが無い。現在のリビングは元々土間で、椅子の置いてあるところに3連のかまどがあった。その奥は、風呂の焚き口があったので、煙突を共用していたのかも知れない。その北に流しがあって、土間の周りには狭い式台がずっと巡らされていて、その北側の現在の台所に食堂があった。 そこに桜の一枚板の大きなテーブルがあっ...
よもやま話

【回顧録】 祖母 タカ

【回顧録】 祖母 タカ2018年1月15日 17:20:47 作成記憶では母と言うより祖母に育てられたと言う感じがする。 知っているのは年寄りだったが、大正の一家の写真では、なかなかの美人と見える。 南の田鶴と一緒に写っている20歳頃の写真もある。 この時流行っていたのか、雨傘を持っている。 安男と一緒に写っている写真もあるが、やっと長男を産んだと言う自信が感じられる。 姉の佐野に嫁に行ったミネと南の田鶴が一緒に写っている。タカは道明寺の遠藤家から来て、女の5人兄弟で、男は2人か分からない。 母親の満中陰の写真があって、これを永田のおばさんに聞いてやっと分かった。 聞いておかないと何も分からな...
よもやま話

【回顧録】 病気とけが

【回顧録】 病気とけが2018年7月21日 16:39:50 作成子供の頃から、そんなに強い子供でも無かったが、その後はほとんど病気らしい病気はしなかった。 小さい頃は、体が華奢なのか、胃下垂だと言われていたが、まあ普通だった。 小学校の頃に、お腹が痛くなって、おまけに嘔吐したので、これはおかしいと言う事になって、調べたら虫垂炎だった。 本当の戸板に乗せられて医者まで行った。 小学校の近くの東野と言う医者だったと思う。 今にしてみると、もの凄く大きく切開して、その傷跡はまだ残っている。家に戻って叔父が寝ていたように、座敷の南側にベッドを置いて寝ていた。 その時に誰かに見舞いとしてもらった「ます...
よもやま話

【回顧録】 病気とけが その2

【回顧録】 病気とけが その22018年7月23日 15:44:29 作成オムロン、当時の立石電機に入社して後、軽いノイローゼにかかり、ついでにパニック症を発症した。 心臓がドキドキして、死にそうになって、医者に行くと心臓の薬を渡されて、これは結果的には誤診だったが、これで体が少しおかしくなったような気がする。その後、パニック症になって、救急車を呼んで医者に行ったが、単なるパニック症なので、すぐに元に戻って、すごすごと電車で戻ってきたのが恥ずかしかった。海外出張が多くなって、時差ボケが治らないので、若いときに一緒に行った医者の真似をして、睡眠薬を飲み続けたら、これが依存症になってしまった。 メ...
よもやま話

【回顧録】 畑 その2

【回顧録】 畑 その22018年2月10日 13:49:01 作成その1でも触れたが、畑は石垣を積んで畑地にしてあった。 埋め立てた土はゴミ屑が混じっていて、茶碗のかけらが良く出てきた。 その後の父親の埋め立ても、南側はアスファルトの残滓、北側は砂地で、どちらも良くない。 むしろ南側の方がマシかも知れない。畑の地目は未だに「田」で、水田利活用の補助金対象になっている。 ここは旧大和川の堤防の脇だが、元々少し高地の古田だったのかも知れない。 筆は3筆に分かれるが、当然に南北に長くなっている。叔父さんの明さんが細々と菜園を作っていた頃は、今の大きなイブキの木の下にわずかに畝を作っていただけだった。...
よもやま話

【回顧録】 応接室のサウンドとかオーディオについて

【回顧録】 応接室のサウンド2020年4月13日 11:42:51 作成何もない増田邸だが、お応接室には少しあった。 おじいさんの事務所になっていたらしくて、応接テーブルと椅子があった、 応接テーブルは四足の四角のもので、マンションの物置に置いてある。 椅子は一人用のソファーで、白のカバーが掛かっていた。 床は籐の敷物で、途中から絨毯に変えてしまった。3歳ぐらいの幼児の頃は、籐の目を線路に見立てて、小さなダイキャストの電車を走らせていた。 その向こうに座敷があって、そこに鉄のベットで叔父が結核で寝ていたと思う。頭は西向きだったと思う。 小学生の頃に虫垂炎にかかった時は、自分がここで同じベットで...
よもやま話

【回顧録】 人物の観察

【回顧録】 人物の観察2018年7月23日 15:56:16 作成大学のころに耳鼻科の医者と付き合って、それぞれの医療科の専門に応じて医者の性格は決まっていると言う話になって、それ以来、人物を見て、その外見や性格から、その人の職業とか地位とかを見抜く訓練というか、習慣になっている。ちなみに、学生当時の耳鼻科の医者との話では、耳鼻科は、あまり命に関わらないので、のんびりしている。眼科は、対象が小さいので、いつもイライラしている。小児科は、当然のことながら子供に優しい。内科も、投薬で治すので、のんびりしている。外科は、切った張ったで一見して分かる。一度ホームドクターに聞いてみたら、やはり手術して血...
よもやま話

【回顧録】 中百舌鳥電気クラブ45号誌 畑先生追悼記事

【回顧録】 中百舌鳥電気クラブ45号誌 畑先生追悼記事2023年2月10日 14:28:34 作成中百舌鳥電気クラブ45号誌 畑先生追悼記事電子6期 増田 清題名: 厳しくてエネルギッシュな畑先生を偲んで畑先生の制御工学の授業は、ダントツに厳しいと言う雰囲気でした。 しかし私は他の講義は一番後ろの席でいつも居眠りしていたのですが、不思議とこの授業だけは最前席の一番先生に近いところで聴講していました。 元々私は具体的なものが好きで、理論的なものや数学的なもの、電気理論すら嫌いだったんですが、この授業だけは何故か熱心に受けました。 講義も大変にエネルギッシュで印象に良く残っています。 この時の知識...
よもやま話

【回顧録】 モトローラとインテル、日立

【回顧録】 モトローラとインテル、日立2022年3月11日 10:00:00 作成日米半導体交渉の結果、日本はアメリカの半導体を一定数輸入しないといけないことになった。 しかも当時出遅れていたモトローラを輸入しないといけないことになって、オムロンで使う半導体、特にCPUはモトローラに全面的に切り替わった。当時はハードの設計をやっていたので、ハード的にはインテルが使い安かったがソフト的にはモトローラが上だった。 モトローラはDECのミニコン並みの命令セットがあったが、インテルは少し下のマイクロコードに近いコードしかなかった。ハード的には、メモリをアクセスするタイミングが厳しくて、インテルは緩かっ...
よもやま話

【回顧録】 スキーについて

【回顧録】 スキーについて2022年3月2日 11:15:00 作成別稿でも書いたが、若い頃はスキーに凝った。 スキー技術として当時は伸び上がってターンするのが主流だったけど、我々がやったのは沈み込んで足を引き上げて、そのきっかけで曲がっていくというやり方で、どちらも体重を抜いてターンの切っ掛けにするのは同じこと。 沈み込みの方が足が揃う。 こぶに見強い。 伸び上がりで曲がると足がどうしても、その間にバラけてしまう。 沈み込みで回ると常に揃えたまま綺麗に曲がれた。 ただ欠点は膝をずっと曲げたままなので膝に負担がかかるのと、ストックが従来の伸び上がりの寸法だと長いのでこれを切り詰めて短いストック...
その他テスト

【回顧録】 オムロンの CRT ターミナル、ORD、IBM-PC、マイクロソフト

【回顧録】 オムロンの CRT ターミナル、ORD、IBM-PC、マイクロソフト2021年2月3日 11:29:30 作成ムロンの CRT ターミナル、ORD、IBM-PC、マイクロソフトスーパーメイトを作った時に端末としてアンリツの端末を使いましたが、それよりずっと前にオムロンはアメリカの ORD オムロンR&D でこの後ターミナルを開発したようです。 これは、その後アメリカであちこち訪問した時にオムロンっていつか聞いたことがある、ひょっとしてターミナルを作ってたか? と言われた事があって、やっぱり知ってる人は知ってるんだと思いました。しかし、このターミナル恐るべきもので CPU に8008...
よもやま話

【回顧録】 イーサネット

【回顧録】    イーサネット2020年7月13日 10:54:18 作成ゼロックスがALTOと同時に発明したのが、イーサネット。 メトカルフェが作りました。 いちど会ったというか話を聞いたことがあります。 最初のバージョンは3Mbps、ALTOの頃は10Mbps、さらに100Mbps、今では1Gbpsで、2.5とか5とか、ケーブルは違いますが10Gbpsも登場してきて、完全に主流になりました。革新的なもので、今では当たりまえですが。従来の通信の概念を根底から打ち破るやり方です。 出たとこ勝負で通信するという旧来の通信屋さんにとっては驚天動地の発想だと思います。 ずっと後になってオムロンに N...
よもやま話

【回顧録】 アメリカの出張予約とレンタカー

【回顧録】 アメリカの出張予約とレンタカー2022年3月2日 12:20:07 作成アメリカの出張予約としては、一番怪しく取れないのが飛行機で、まず飛行機の便を抑える。 次に怪しいのがレンタカー。 これはいつもよくいっぱいになるので飛行機の予定に合わせてレンタカーを抑える。 レンタカーさえあれはどこでも行けるので、後はホテルを抑える。 ただあんまりややこしホテルだとレンタカーで行き着くのが難しいので、よく迷ったことがある。当時はカーナビなんかなかったので道案内と言うとレンタカーの事務所でプリンターでずらずらと文字で書いた、どこを曲がって、どの道を行ってとか、そういう案内しかないので大変だった。...
よもやま話

【回顧録】 まるト、組合統一、出世の話、義雄さん

【回顧録】 まるト、組合統一、出世の話、義雄さん2021年8月19日 14:22:37 作成入社当時はオムロンには全金立石支部と立石労組があって、揉めていた。 特に全金は、社外の人間がどんどん入ってきて、団交にも出てくるので、学生時代のセクトみたいな感じで、おまり面白くなかった。 これを統一と言うか、全金を弾圧して立石労組をメジャーにする活動があった。 かれこれ10年はやったと思う。OMRAC8のテーマが中止されてしまって、精神的に参ってノイローゼ的になっていたが、しばらくして少しマシになった時に元上司だった清水さんに呼ばれて、熱海だったと思うが、研修会に行けと言われた。 何も教えてくれず、と...
よもやま話

【回顧録】 松の木

【回顧録】 松の木2018年2月12日 11:11:19 作成松の木は全部で4本あったが、松枯れ虫が流行ったときに3本はかれてしまって、1本しか残らなかった。 山の松も大分枯れて、山が所々赤く見えるほどだった。玄関のところにある松は、既に下の枝が切られてしまったが、灯籠の上に枝があって、これに灯籠から登っていたが、今になってみると危ないことだった。 見つかると叱られていた。 松の枝にはヒモを結んでブランコにしていたので、そこだけ皮がむけていた。座敷の前の灯籠の横にもあったが、枯れてしまった。 ここも灯籠から登ろうとするが、この灯籠は倒れやすいので、この松にはあまり登った記憶が無い。以前から復活...
よもやま話

【回顧録】 用木家

【回顧録】 用木家2018年1月15日 17:48:08 作成次に良く行ったのは、富田林の用木。 末っ子だが上海に居たと言うだけあって、少し垢抜けした感じで、その親も垢抜けしていて、増田の雰囲気とは違うなあと言う感じだった。 自宅にある数少ない家具で中華風のものはどうもこっちからもらったのではないかと思う。先日、法事で行った時に発見したが、自宅と全く同じ襖でビックリ。 襖の唐紙は、京都の指物師を呼んで修理したときも良く分からなかったものだが、それと同じだった。 座敷の簾も同じ感じで、こっちは修理して復元していた。 用木の屋敷は大正年間の造りで、どうもこれを真似して自宅を建てたらしい。 用木は康...
よもやま話

【回顧録】 屋敷の水道工事と電気工事

【回顧録】 屋敷の水道工事と電気工事2018年1月16日 18:29:11 作成立派な井戸があって、水は豊富なので、リフォームしたときに裏の方と西の方に配管を通してもらった。 八尾市公認の水道屋で、後でリフォーム代を精算するときにエラく高かったように思った。 しかしこれをやっておいたお陰で、庭の水には苦労しないで済んでいる。 水道屋の工事の後は、自分でみんな工事をした。 学生の頃は、塩ビのチューブを火であぶって、柔らかくなったところを曲げて使うが、焦がさないようにあぶるのは至難の技で、なかなかうまく行かなかった。 しかしリフォームの時に見ていると部品がいろいろあって、プラモデルみたいに接着剤で...
よもやま話

【回顧録】 円光寺

【回顧録】 円光寺2022年1月20日 11:49:47 作成円光寺円光寺は父親の出身家でよく行きました。 通称キタと言います。 小さな頃はこの辺では珍しくテレビを買ったので、それを見に行ったこと覚えています。 フランキー堺の「私は貝になりたい」というような場面があって、公園でブランコに乗っているような場面が記憶にあります。 昔の改築する前の本堂の奥にある部屋だったと思います。 その頃はまだ一番上の兄貴が生きていてそれが買ったんだと思います。お寺の東側は畑になっていて、そこで少し作物を作っていたような気がします。 今はそこは修さんの家が建っていて、もうそこの隙間はなくなりました。 さらにそれの...
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【回顧録】 初めて一人で行った伊豆旅行 とミリ波の話

【回顧録】 初めて一人で行った伊豆旅行 とミリ波の話 【回顧録】 タイトル2021年9月18日 15:12:17 作成初めて一人で行った伊豆旅行 とミリ波の話中学生のころだと思うが、初めて一人で伊豆旅行に行った。 行きは何とか言う夜行急行を東海道線を行って、三島かどこかからか、長距離バスに乗って、ずっと下田まで行った。 途中は一番前の席に座って、自分で作った 50メガのトランシーバーを横に置いて、それずっと点けていたことを覚えているので、おそらく中学校の後半だったと思う。 中学校の時に化学部で事故を起こしてしまって、それから化学部には入れなくなったので、電気を主力に転向した。 それまでも無線や...
よもやま話

【回顧録】 井戸掃除

【回顧録】 井戸掃除2018年1月16日 18:28:34 作成井戸掃除を思いついて、やったが結構深くて、いくらポンプで掻い出しても底は見えない。 井戸側は通夫さんが言ったとおり、桶の底を抜いたのか3ー4個縦に嵌まっている。 側からは水が漏れていて、その時には水は大分汚れるようになっていて、トイレの水は井戸水を使っていたが、器具が真っ黒になって、すぐに故障するようになっていた。 その後は井戸掃除もする気にもならずにそのままになっている。井戸掃除は、子供の頃に一度見たことがある。 動力ポンプで水を掻い出して、それでも水は残るので、その中に潜って掃除をしていた。 村の中の何とか言う人が井戸掃除専門...
よもやま話

【回顧録】 自動車 その2

【回顧録】 自動車 その22018年7月21日 14:53:49 作成IS250Cは、車そのものには満足していたが、余りにエンジンが非力なので、4年を過ぎた頃から、乗り換えを考えるようになった。 ちょうどBMWの4シリーズが出てきたので、見に行ったりしたが、時間がドンドン経って結局入手したときは、発売から大分時間が経っていた。夏に以前にZ4を買いに行った東大阪に行って、商談した。 担当は以前と同じ高橋さん。 ちょっと営業としてはどうかと思う態度もあったが、結局1年後ぐらいには店長になって、現場には出てこなくなった。最初は軽快そうな428を注文して、750万ぐらいになった。 注文してやりとりをし...
よもやま話

【回顧録】 お風呂

【回顧録】 お風呂2018年9月20日 10:45:29 作成我が家のお風呂は元々五右衛門風呂だった。 昨夜お風呂に入っていて、思い出した。 焚き口は今のガス釜のあるところなので、現在の物置にところだった。ここで燃やせるゴミなどを燃やしていた。 子供の頃は良く手伝いをさせられて、ここに座り込んで火の番をしていた。釜の中には丸い板が浮いていて、入る時はこれを足で踏んで沈めながら入って、最後は回転させて、下にある突起の下に入れて、浮き上がりを防ぐ仕掛けになっていた。 今から考えると小さい鎌だったが、子供の頃は大きくて、水中眼鏡を持ち込んで、潜って遊んでいた。元は風呂場も今より半分ぐらいしか無くて、...
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【回顧録】 ヒューマンアセスメント HA と ガバナンス、テレワーク、決裁権限

【回顧録】 ヒューマンアセスメント HA と ガバナンス、テレワーク、決裁権限2021年8月19日 15:55:47 作成オムロンの管理職試験は結構厳しい方だと思う。 筆記試験は当然あるけども一番の難関は三日間やる研修という名の選抜試験のヒューマンアセスメント研修。 これでその人の心の奥底まで全部さらけ出されてしまうのが非常に厳しい。一番最初に受けたのは課長試験だったけど、この時はあまりによく分からなかったので、点数は良くなかった。みんなに何でやと言われた。 いずれにしても人数が多かったので1年ほど、他の人と同じように昇進を遅らせられたと思う。 最後の晩に研修センターの地下で講師の人といっぱい...
よもやま話

【回顧録】 アメリカ活動を支えた人々

【回顧録】    アメリカ活動を支えた人々2021年2月4日 12:17:41 作成アメリカ活動を支えた人々ロッキ―尾崎1989年あたりからアメリカで活動を開始したが、最初にそれを助けてくれたのがロッキ—尾崎だった。  彼とはあちこち一緒に行って、特に東部のコンピューター会社にはよく行きました。 それまで教科書に出てたような名前の会社とか特に軍絡みの会社が多かったのですが、ビジネスはともかく非常に面白かったと思います。ロッキー尾崎は特にコンサルタント料を取らずに、そらくオムロンの名前をフルに使って自分のビジネスをしてたと思うのですが、飛行機代を含めて全部手弁当でやってくれて非常に助かりました。...
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【回顧録】 酒屋の清兵衛

回顧録】 酒屋の清兵衛2018年1月12日 22:24:04 作成今の大東さんが住んでいるところに酒屋があった。 清平の次男だが清兵衛を引き継いで酒屋をやっていた。 もっとも造り酒屋では無くて、酒を売っていただけだった。 この清兵衛は結構しっかりした人で、当時(明治の終わりから大正)には、増田一族のトップだった。 お宮の太鼓台の鳴り太鼓の中にも筆頭に名前があるし、玉祖神社の鳥居の横にある灯籠も清兵衛の寄進。 南の通夫さんの話では、どこか東の方に清兵衛の名前が入った石橋があったと言うことだが、本人含めて誰も知らない。 ちなみに長男の安平は、あまり出来が良くないのか、親に気に入られないのか、長男で...