【回顧録】 60日間東日本一周 その1

【回顧録】 60日間東日本一周 その1

【回顧録】 60日間東日本一周 その1
2019年5月11日 11:28:02 作成
書いたつもりが、良く見たらまだ書いてなかった。
70年大阪万博の夏に藤田と2人で行った。 スバルサンバーの廃車になっていた
のを1.5万円か5万円で買って、それで行った。 走行距離は5万キロ以下で、今か
ら考えるとマシな個体だった。 当時のナンバープレートは、藤田が持っていた
のを1枚譲ってもらって、部屋に飾ってある。
荷台に1畳の棚を作ってその上で2人が寝る。 下には小型のプロパンガスとか水とか
荷物を入れる。 屋根にはキャリアを付けて、水のタンクとか、ほとんど溝の
なくなった交換タイヤとかを積んでいた。 アマ無線のアンテナも付けて、そ
こに60日間東日本一周の畑をつけた。 タイヤはほどんと溝がないので、しょっ
ちゅうパンクしたが、交換は手慣れたものですぐに直せる。
エンジンも後部の狭いところにあっていわゆるRR方式なので、主要機構は後部に
集まっているが、狭いのでレンチを回す余裕もない。 しかし慣れてきて、手探
りでエンジンヘッドなどは交換できるようになった。
このサンバーは、お役御免になったあとは、府大の研究室の下に置いていたが、
ボディを外してフレームにして、バギーに改造して、府大の中を走り回った。
ステアリングのギアを逆にして、ハンドルがすぐに前輪に伝わるようにしたが、
前部が軽く、操舵が上手くいかなかった。
後輪はコロナの廃タイヤで、ホイールを2つ溶接してダブルにした。 このまま
では取り付かないので、サンバーのホイールがキッチリ中に嵌まるので、これも
溶接する。 ロールバーも溶接したが、電気溶接でよく見えないので、裸眼で
やっていたら、テキメンに角膜をやられて目医者に行く羽目になってしまった。
バギーはなかなか面白いが、後輪が巻き上げる土砂が上から降ってくるので、ヘ
ルメットをしていたが、特に雨の時は頭から泥だらけになるのには閉口した。
その後、学内に放置していたが、誰かが処分してしまった。
当時は、電子の建屋の東側は池になっており、今でもそのままだが、その東側に
は自動車部の部室があって、当然に車が何台か置いてあると言うか放置してあっ
た。

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