【回顧録】 天安門事件と初めての中国訪問

【回顧録】 天安門事件と初めての中国訪問

【回顧録】 天安門事件と初めての中国訪問
2019年6月18日 12:50:16 作成
1989年6月4日の、当然に前だったと思うが、中国に拠点を作る話になって、当時
は赤池さんと言う人か北京に一人で駐在していた。 大連に工場はあったが、
本格的にな拠点ではなかったし、北京や上海とは違った。
何処にするかと言う議論で、北京が良いとか上海が良いとかがあって、上海が良
いと思ったが、特に理由があったわけではなかった。 北京は東京で、上海は大
阪か京都みたいじ違っていて、言葉も違っていた。
そのうちに、天安門事件が勃発し、北京は政府に近いので良いが、こう言うリス
クがあると言うことになって、結局上海になった。 その後上海に訪問するこ
とになり、市原、大湊の2人に無理に付いていった。
空港は現在の国内線の空港で、空港の建物を出ても何もない。 これは一人では
全く動けないと思った。
訪問先では大歓迎で、復旦大学とか交通大学とか、何とか院とかいろいろ出てき
て、夜は当然に宴会になるが、会ったこともない人が一杯出てくるのでビックリ。
老酒を覚悟したがそうでもなくて、みんなコーラを飲んでいたのにビックリ。
その後最近南の方に行くと老酒の一気飲みばかりで、老酒の臭いが抜けずに駒待っ
たことがある。
初めて中国に居て、目がイライラするのに気が付いた。 漢字の看板があるの
だが、どうも読めない。 それで目がイライラすると気が付いた。 3日目に
少しマシになってきた。
当然に当時はカラオケもなく、3人一致したのは、ここには駐在不可能と言うこ
とだった。 赤池さんはすごいなーと言う話になった。
車もほとんどなくて、自転車だらけでクラクションは鳴らしっぱなし。 牛車も
いた。 郊外の工場を訪問することになって、1時間かかるとのことで、距離を
聞いたら20km。 おかしいと思ったが行ってみて納得。 道は穴ぼこだらけで、
それと自転車を避けながら走るので、20kmぐらいしか速度が出ない。
工場に行くと毛沢東の大きな銅像があって、これにもビックリ。 上海市内に
は一切なかった。
分からなかったときは広いと感じたが、慣れると意外に狭いことが分かった。
いざとなれば歩いて行けると思った。 ある人曰く中国は広いが都市は狭い。
なるほどと思った。
出国して、確か台北に向かったと思うが、当然に直行便は無いので、香港でトラ
ンジットしたが、この時に荷物がロストする。 台北に着いたときに分かった
が、SQだったので少し安心した。 空港までタクシーで行って受け取ったのか
も知れない。 香港に着いたときはほっとして、文明社会に戻った気がした。
中国国内で無くなったら出てこないと思ったが、どうも香港でのトランジットで
起こったらしいので、事なきを得た。

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