【回顧録】 自動車 その1
【回顧録】 自動車 その1
作成日時 2018年3月11日 14:12:01
最初の自動車は、パブリカだったが、それまでにひと悶着あった。 最初は、大
学生のころで、免許を取った後か先かは分からないが、当時のアマ無線仲間で、
東大阪で鉄工所を経営してた何とかさん言う(思い出せない)の工場に行ったとき
に、グッピーという250ccの2人乗りのおもちゃみたいな車を見つけて、譲っても
らう話を、家に戻って両親に話したら、もっとまともなものを買えと言うことで、
いろいろ探してパブリカになった。 山本の方に何とかさん(顔は出てくるが名
前が出てこない)と言うのが自動車関連の仕事をしていて、自宅で簡単な修理な
どをやっていたので、そこから譲ってもらったのだと思う。 草色で、一度ド
アを開いたままバックで車庫に入れて、ドアのヒンジのところを大破させてしまっ
て、それをまた何とかさんがいい加減に素人細工で直してくれた。 水平2気筒
で、バタバタと振動は大きく、今から考えると、当時でも思っていたが、まとも
な車では無かった。
いつかは忘れたが、冬のある日に、父親と伯父の2人で満席になった車で、名神
高速を走って、滋賀県の虎姫村まで行った。 父親の兄、つまり円光寺の先代の
住職の連れ合いの実家で、両親のどちらかが亡くなったとのことで、その葬儀に
行った。 田舎なので野辺の送りがあって、お寺から墓地まで、白い流しを立て
て、行列を作っていくが、湖北なので雪があって、映画のワンシーンみたいな感
じだった。 しかし雪解け水が溜まった墓穴に、樽の座棺をぼちゃんと入れる
のは、現実に引き戻される一瞬だった。
それで彼方此方乗り回したが、その後は白の箱型のコロナになった。 当時の人
気車種で、ようやく少しマシな車になった。 ベンチシートでコラムシフトが付
いたものだった。 この車で、大学の連中と四国一周をしたり、伊豆半島に行っ
たりした。
その後オムロンに入社して、結婚することになり、やはり新車が欲しいとのこと
で、当時の人気車種のマークII を父親にねだって買ってもらった。 一番安い
スタンダードだったが、流行の濃い緑色のメタリックで、これに乗って新婚旅行
に行った。 戻ったその年の冬に京都の花瀬スキー場に行くと、どんどん雪が
降ってきて、帰りの峠道は圧雪になっているにも関わらず、渋滞になってしまっ
て、彼方此方ぶつけられる。 最初は怒っていたが、その内に慣れっこになっ
てしまって、怒る気にもならなかった。 しかし買ったばかりの6か月の新車が
ボコボコになってしまった。 この車は、典型的な面白くないトヨタの車で、
乗っていると運転手になった気分がした。
この車をそのままにしたのかどうか忘れたが、オムロンの同じサイバネにいた少
し先輩の木村さんと言うのが、コロナの赤のハードトップを買わないかと言うの
で、5万円で引き取った。 当時の5万円は初任給ぐらいなので、現在なら20-30
万ぐらいに相当したと思う。 ハードトップなのでサッシレス、フロアシフト
だが、アシストなしのステアリングと前輪だけのディスクブレーキだった。
ステアリングは力が要るし、ブレーキは余程その気にならないと効きが悪かった。
結婚したての治子に運転させて、確か一度自動車学校のコースに行ったが、あま
りに硬いので、根を上げて、それ以来は車を運転しなくなった。
古い車なので、だんだんと塗装が剥げてきたので、普通のペンキを買ってきて、
自分で塗った。 最近その当時の赤いペンキのついた吹付ガンを見つけた。
圧縮空気がなかったので、確かLPガスのボンベからのガスでやってみたが、ガス
中毒でしんどくなっただけだった。 これに乗って、当時は毎年挨拶に行って
いた岩本さんのところへも行ったことがある。 車を見てびっくりしたような感
じだったのを覚えている。
その後、乗り換えることにしたが、あまり車が面白くなくなってきたので、軽四
輪でも良いかと見て回ったが、流石に当時の軽四は貧弱で、乗る気にはなれなかっ
た。 それでオムロンに出入りしていたホンダサロンと言うのがあったので、そ
こで、当時スカイラインからも乗り換えがあると言う黄色のシビックを買った。
内部のAピラーが塗装のまま剥き出しだったり、リアのサスがやたらと硬くて突
き上げがきついとかの欠点は沢山あったが、乗ってて面白いと思って病みつきなっ
てしまった。 乗って帰ると父親が、黄色なので、生徒の帽子みたいやなと言っ
たのを覚えている。 ただ排ガス規制のために馬力が出ないとか、初めてATに
したが、無段変速のために加速感がないとかの欠点はあったが面白かった。
たまの休みに確かホンダベルノの平安店と言うのが淀の辺にあって、ホンダの別
系列の店だが、ここで初代の赤メタリックのプレリュードを見て、半分冗談で、
下取り入れて200万なら買うよと言ったが、その当時は若山台に移っていたが、
そこに電話がかかってきて、それでOKだという話。 断るに断れずに、買ってし
まった。 実質的に3年落ちのシビックが5-60万で売れたことになる。 ちな
みに、担当した営業は、少ししたら辞めてしまった。 こういう売り方をしてい
たら駄目だろうと思った。
この後、プレリュードはデートカーになるようだが、初代は欠点だらけだった。
確かにハンドリングや足回りはしっかりしているが、如何せん排ガス規制で馬力
が出ないし、ATが貧弱でシビックと同じ。 後ろから異音がするので、治子に後
部座席で聞かせたが、分からず。 そのうちにやっと分かって、トランクヒン
ジが当たる音だった。 最初のころは塗料があるので分からずに、そのうちに擦
れ音がしてくると言う話。 文句を言うとトランクリッドごと交換するというので、
テープを挟んですませた。 交換するとまた別の問題が出そう。 少し新しい
車を見てみると、ものの見事にそこだけ板金を曲げてあった。
他にもサンルーフからは、曲がるたびに水漏れがしたりした。 若手が設計たと
のことで、いろいろ問題はあるが、なかなか面白い車だった。 治子の母親を
乗せてたときに、少し急にハンドルを切ったら、あとで聞いたら眩暈がしたとの
ことだった。 天井も低いし、上からつぶされる夢を見たこともある。
この車に替えたときに、康之が生まれたので、思い出は深い。
若山台の駐車場に雨ざらしで置いておいたら、ボンネットの上が剥げてきたし、
車検だし、康之が生まれてしばらく経ったたし、治子が要求する4枚ドアの白の
アコード同じホンダサロンから乗り換える。 これもサンルーフが付いて、ABS
が前2系統後ろ1系統と言う変則だがどちらもオプションで付けた。 確か230万
ぐらいになったのではなかったか。 サンルーフについては、一度オムロンの
清水さんを長岡から駅に送っていった時に、こんなものを付けてるのかと言われ
たことを覚えている。
この車には10年以上乗ったと思うが、その間はほとんど国内とアメリカ出張ばか
りだったので、5万キロぐらいしか走っていないと思う。 そのうちに八尾に戻っ
てきて、康之が免許を取って、八尾からは大学が遠いので、車で行っているうち
に、故障が多くなって、ウインドウが閉まらなくなったりしたので、どうとう乗
り換えることにした。
ホンダサロンに紹介してもらって、近くにはホンダはないので、志紀の近くの外
環状の店で灰色のフィットを買う。 確か総額で150万にしろと言うと、相談し
ますと言うことで奥に引っ込んで、OKが出た。 しかし何か忘れたが、金額を合
わせるためには、項目を別にしないといけないということだった。 康之が乗
らなくなったころから京都で乗り出したが、結構よく走る。 パドルシフトみ
たいな機能もある。 手放す直前になって、RSを買ったことに気が付く。 買っ
たときは少しでもマシなものと思ってRSにしたらしいが、ずっと忘れていた。
フィットにしてはよく走るとずっと思っていた。
試作センターごろから京都まで乗って行くことが多くなった。 会社でKRPの駐
車場を契約したこともある。 日曜日の夜に乗って京都に行くが、路上に止め
ておいて、放置自動車で引っかかったこともあるので、なるべく駐車場に入れる
ようにした。 KRPに入れて、そこから歩いてマンションに行くようにした。
2010年末ごろに試作センターを引退して、京都の中堂寺にあったマンションを引
き払うことにして、その時に鳥羽にリゾートマンションを買って、そこに京都の
マンションの荷物を直接運んでしまう。 同時に鳥羽に行く車が必要なので、
それを探し始める。
年末の大阪モーターショーにも行くが、そこでレクサスのISCを見つけるが、後
でこれを買うことになるとは夢にも思わなかった。 会場では屋根の開閉を見
せて欲しいと言ったが、見せてくれなかった。 最初は外環と中央環状のBMWに
行ってZ4を買おうとした。 一度はBMWに乗っておきたかった。 外環では試乗
に貸し出してくれたが、値段がまったく違う。 中環は、いくらでも引くとい
う感じで、その差にびっくり。 この時に出会った高橋さんにさらに5年後にま
た会うとは思わなかった。
そのうちに、治子のお母さんが肺がんと言うことが分かって、病院を往復したり
して、車を買うどころではなくなった。
Z4は、なにせ後ろが狭いので圧迫感が半端ではないし、治子が強硬に反対するの
で、中古車も見に行ったが、これは諦めて、フラッと入ったレクサスでISCを試
乗して、話が変わってきた。 この時に出会ったのが何とかさん(思い出せない)
で、なかなか優秀で、2月に話をして、4月頭に納車だったが、5月には異動して
しまった。
ISCは重い車で、最初の動き出しが重いと思ったが、Sモードで何とか乗れるので、
ギリギリの性能だった。 トルクが27�では少し厳しい。
契約の後の手続きに行くと、トラックに1台だけISCを乗せて、ちょうど入ってた
ところに偶然に出くわした。 この後コーティングなどをして、その次か2日後
か納車なので、引き取りに行った。

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