【回顧録】 60日間東日本一周 その4
2019年5月11日 12:53:37 作成
知床ではカムワッカ? の温泉に入る。 単なる滝が落ちているところが湯になっ
ているので、谷川に裸で入るだけで、脱衣場があるわけでもない。 更に上に登
ろうとしたが、水が熱くて中止。
観光バスのおばちゃんに冷やかされたりして、また熊が出るとのことで、学生を
荷台に根転がせて運んだこともある。
知床から稚内に向かって北上する。 稚内からは南下するが、行きか帰りか忘れ
たが、札幌の郊外に雨竜沼と言うのがあって、途中からは歩きになるが、尾瀬み
たいなところでなかなか良い。 後ほどここの写真を集めたCDを入手した。
それなりに有名だと言うこと。
積丹半島にも行ったはずだが、先日カムイ岩まで行ったが、どうも記憶がないの
で、ここまでは行かなかったらしい。 行ったと思っていたのは、カムイ岩の写
真が沢山あるからそれで行った気になっているのか。
大沼を通って今度は大間に抜けたと思うが、行きと帰りがごっちゃになっている
かも知れない。 仏ヶ浦に行って、ウニの殻付きをスプーンを付けて渡されて、
まるでアイスクリームみたいだと思った。
佐井村の細い道を通ってむつに出て、恐山を見る。 そこから東の尻屋崎を目
指すが、行き着けない。 道を聞こうとして畑の人に聞くが何を言っているの
か分からないので、小学校があったのでそこの先生に聞いたが、地名が聞き取れ
ただけだった。 尻屋崎は自衛隊の演習場になっていて、思うようには行けな
かったと思う。
そこから南下して、三陸に入る。 例の震災で壊れてしまった田老の防潮堤も
見た。 車を停めたところは防潮堤の外だったので、トンネルのような通路を抜
けていったと思う。 漁船のおじさんにいろいろ声をかけてもらう。
何とかの松原も。そこで何か食べている写真がある。 これも震災で根こそぎ
無くなってしまった。
三陸は道が悪くて、あるときエンジンがおかしいと思ったら、発電機の支持フレー
ムが見事に折れていた。 針金で縛って応急処理をする。
あるときはガソリンがなくなってしまって、ちょうど下り坂だったので、そのま
ま惰性で走って、見つけたスタンドに滑り込んで事なきを得た。 予備のガソ
リンは4lのタンクに入れて、上の荷物置きに置いていた。
水は1日に18リッター1本で行けた。 これで炊事の水と洗面の水はOK。 毎朝
スタンドに寄ってガソリンを入れて、水ももらってくる。 炊事は何処でも車
を停めて、ガスボンベで炊飯器を付けて、米を炊いて、その間にカレーなどを作
る。 慣れてくるとすぐに出来るようになった。 それで夕方にはスーパー
に買い物に行く。 時々は銭湯に行く。 田老でも行った。
東京は混むので裂ける雨に、フェノロサで夢異な茨城のどこかから、西に関東平
野を横断した。 こう言うルートはあまり無いような気がする。 日光の裏に
出て、そこから長野の方を回って戻ったと思う。 この辺はだんだん気合いが
抜けてきたのか、記憶がなくなっている。 最後は吹田の万博会場に戻って完
了した。 その足でペプシ館に行ったと思う。
いずれにいても、世紀の大旅行だった。
これに勇気を得て、今度は世界一周を計画したが、これは実現せず。
もう少し大きなVWぐらいにして、韓国から北朝鮮から中国、シルクロードを通っ
てヨーロッパに行く予定。 ガソリンの予備を沢山持って行かないといけない。
しかし当時は今でもそうだだが北朝鮮は通れない。
3ヶ月休暇で行った中国。 西域の方でも意外にガソリンスタンドはあり、汚い
が旅館もあり、これなら中国からは行けると思った。 しかしだんだんと西域
も治安が悪くなり、だんだんと難しくなってきている。

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