【回顧録】 試作センター 会社の仕組み

【回顧録】 試作センター 会社の仕組み
2022年3月19日 16:16:03 作成
完全に新しい、しかも独立の法人を作ったので、今まで不満に思っていたことを
全部やった。 日本を占領したときの進駐軍の若い担当になった気分だった。
まず採用は、何でもありで、今でいう働き方改革を先取りしていて、正社員、パー
ト、アルバイト、非正規なんでもありだった。 後に就業規則を整備するとき
は、大変だった。 それぞれにいくつも就業規則があり、相互に矛盾していない
ようにするにはたいへんだった。
経理は自分でやった。 完全に伝票レスで、文房具などは先に見込みで注文して
置いた。 小口現金は一度に20万にして、その中から支払った。 この小口現
金を自分の口座にしておいたのが、税理士とぶつかった。 決裁権限内の金額
で、しかも帳簿に載せているので問題ないと思ったが、杓子定規な税理士は帳簿
に乗っているのは、全部通帳も開示しろ言うので、大分言い争いになった。
預金の科目にするのがダメで、小口現金にしておけば良かった。 庶務には10
万ぐらい渡して、その中で支払いをするようにした。
別稿にするが、受発注システムを作って、このデータを弥生に流し込んで、一気
通貫で決算が出来るようにした。 今自分でもやっているように、仕入れは一
度全部買掛けに、売上げ売掛けしておいて、月内に売り買いが成立するようにし
た。 もちろん入金は遅れるので、その時に消し込んで売り上げを確定する。
これで最大2億ぐらいまで行ったが、10億ぐらいまではこれで処理できると思う。
経理は後に寒川さんと言う経理のプロがパートで来てくれて、彼は物凄く手が速
いので、最終的には全部任せてしまった。 最初電子式の弥生に戸惑っていたが、
流石に良く知っていたので、すぐに使いこなせていた。
月次決算は、月末前から入れているし、月末の売り上げ確定は大体予想が付くの
で、月末の定時には、月次決算が終わっていて、BS、PLをみんなに配った。
余程の個人情報でない限り、情報公開が原則で、会社の四半期決算もHPで公開し
ていた。 後任の社長はやる必要が無いとか言っていて、元の木阿弥になった
のではないか。
デスクのキャビネットも移動式にして、袖机はなし。 机や椅子などは全部中
古を手配した。 PCも中古にしたが、退職時にはあまりにも遅すぎるようになっ
た。
書類は出来るだけ電子化して、出来ないのは全部同じファイルに綴じて、並べて、
抜けていたらすぐに分かるようにした。 文具の統一のために勝手に買わない
ようにして、同じものを使うようにした。 各自自分の好みで買いだすと、金
額はたいしたことは無いが、バラバラになる。 テブラも買いたがったが、止
めにして背表紙用のラベルにして、プリンタで印刷するようにした。
プリンタもガンで、小さいFAX複合機を1台置いて、なるべく印刷できないように
した。 大量の印刷は、近くに印刷屋があるので、そこで大量に安く印刷する
ようにした。 当時はファックスが割と使われていたので、ファックスは自動
的にメールで転送して、分かる場合はプロジェクト毎のDBに入るようにした。
電話も、IP電話にして電話線を引かないようにしたが、IP電話そのものが不安定
で、そのうちに通常の電話に置き換わった。 IP電話用の専用端末も製造中止
になり、中古も無くて、時代的に早すぎた。 電話がかかってくると、自動的
に関連の案件の画面を表示したかったが、なかなか定着しなかった。
一番最初の受注はオムロンの何か忘れたが、秋には受注して、年明けからは村田
さんの活躍もあり、結構な受注になっっていった。 元々1年ぐらいは受注ゼロ
を覚悟していたのでうれしい悲鳴だった。 それで6月期には1億ぐらいになっ
たのではないか。 ただ6月締めには欠点もあって、3月末のバタバタの処理
は余裕でこなせたが、その後の3か月は低調になり、あまり意気が上がらない状
態で年度末を迎えることになる。

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