【回顧録】 立石電機入社 その1

【回顧録】 立石電機入社 その1
2018年9月20日 11:03:58 作成
同期は、パナソニック、NEC、シャープ、IBMなどそうそうたる所に就職したが、
あまり大手には入りたくなくて、元々ベンチャーをやりたいと思っていたので、
あまり熱心ではなかった。 同期で車の好きな植野が日産と言うので、徹夜して
行きも帰りも中山道だったと思うが、これを2人で交代で新車のカローラを運転
していって、銀座の日産本社に行って人事担当の部長に面会した。 一応話は聞
いてくれて、昼飯を銀座のどっかのレストランで奢ってくれたが、こちらは徹夜
なので食欲が無くて、たいして食べられなかった。
そこで真っ先に言われたのが、長男か? と言う事。 長男は箱根の山は勿論、
関ヶ原も越えられないよと言われて、これがその後の人事の基本的な考え方になっ
てしまった。 言外には何でトヨタに行かないの? と言う事だったが、当時の
日産は技術の日産で、トヨタはマーケティングの会社と見なされていた。
1泊したのかどうかは忘れたが、帰りも中山道を通って、行きは登りが多いので、
馬力が必要だと思った。 所が帰りの中津川ぐらいだと思うが、エンジンがおか
しくなって、ドカンと言うと、エンジンからロッドが突き出してしまって、全く
動かなくなる。 たしかトラックにヒッチハイクしたのか何かで、方法の体で帰
り着く。 植野君はあとで車を取りに行ったそうな。
昔は車の品質が悪くて、初期不良は一杯あったようだ。
植野君は秀才で、自動車部で、当時の自動車部は体育会系で、ランニングして、
車の全長しか無い道幅でUターンするようなフィギャーの種目が主体だったよう
だ。 これにも習熟していて、ハンドルを回すテクニックはすごかった。 乗用
車では、それなりに回せるが、当時のアシストの無いトラックやバスでは、余程
うまく回さないと、こっちが振り回されてしまう。
外は、神戸製鋼に行こうかとか、いろいろ考えたが、その会社の本流で無いと、
確かに自由は有るかも知れないが、大きな事は出来ないと思った。 これは後々
本当だったことが分かる。
当時のシャープは、天理の田舎の冴えない会社だったが、その後の液晶に賭けて、
一気に有名になって、その後は台湾に買収されてしまった。 しかし底力はある
のでV字回復している。
パナソニック、当時の松下電器も考えたが、ここは自宅から通うことになりそう
で、しかも会社が大きすぎて、自由さが減ると思った。
そこで当時の東のソニー、西のオムロンと言われていた、当時の立石電機に入る
ことにした。 それでそれを畑先生に言うと、ふーんと言う事であまり反応が
なかった。 結果的に、先に入社していた同期の加納君とかと小俣君とか何人も
入社した。

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