【回顧録 リフレッシュ休暇 3 中国編

【回顧録 リフレッシュ休暇 3 中国編

【回顧録 リフレッシュ休暇 3 中国編
2021年5月21日 9:44:54 作成
アメリカから戻ってきて一週間ほど家にいてその後13日間の中国シルクロードの
旅に出かける。 さすがに中国は個人では行くのは少し不安があったので、滅多
に行かないツアー旅行で行きました。
まず上海に行って上海からウルムチに飛ぶのですが、こう時にどんな旧式の飛行
機で行くのかと、みんな戦々恐々としてたのですが、乗ったのは最新鋭のピカピ
カのエアバスで、それにも満席でウルムチまで行きました。
さすがウルムチの空港はビルの中まで真っ暗で照明はほとんどないという想定通
りの展開となりました。 しかし街の中には泊ったホリデイインがあったりし
て結構大きなホテルが立ち並んでいてびっくりしました。 それとウルムチにな
るともうすでにこれは新疆地区で要するにアラビア文化圏なので言葉が全く違う
らしく、上海からついてきた通訳は全くわからないと言っていました。 現地
の通訳と二重で通訳していました。
周辺で天池と言う池を見に行ったり、火炎山脈を見たりしました。 交河古城と
かの古い城を見たりしましたが、ここの城は全て土でできているので、かなり崩
れてしまっています。
そこからトルファンまではバス移動ですが、途中で道端で干しぶどうを売ってい
たのか、収穫していたのか分かりませんが、そこにバスを停めて干ぶどうを買っ
て帰りました。 小粒だがなかなか良かったです。その日はトルファンに泊ま
りましたがトルファンはさすがに綺麗な街で葡萄がいっぱいあって一番良い街で
はないかと思いました。
トルファンからは夜行列車に乗りました。 真夜中に出発なんですが、駅のトイ
レに行こうと思ってトイレ探したのですが、なにしろ本当に鼻をつままれても分
からないほど真っ暗で、どこにあるかわかりません。 やっとなんとかトイレら
しき所を見つけたのですが、これがまた凄まじいもので、そこらじゅうに汚物が
山盛りになっているという非常に大変なものでありました。 今の中国ではちょっ
と考えられないかもしれません。
列車は日本でいう三段式の B 寝台です。 私一番上に寝ましたが上の方はもう
紙くずだらけで新聞紙が散らかってたり、ゴミクズだらけでした。 窓はもう
何年も拭いていないような汚い窓でありました。
行ったメンバーは添乗を入れて全員で18名。 年寄りが多かったのですが、最
高齢は80歳ぐらいのお爺さんで非常に元気でした。 いつ死んでもいいのでどん
な所でも旅行に行くと言っていました。 NEC の役員 OB の方がおられました
が、結構私に興味を示して、私は40歳そこそこだったんで、なんで遊んでいるの
だと気になったようで、時々茶々を入れられて弄られました。
寝台列車で一番上の段からカメラの望遠レンズ落としたんですが、これはえらく
怒られました。 私はどちらが言うと望遠レンズが壊れなかったか心配でした
けど、 その方は俺の頭に当たったどうするんだとえらい剣幕でした。
気さくな方であちこち旅行に行くのしてくる方が好きな人は何とか言う人がいま
したその後で少し手紙でやり取りしたことがありますがそれきりになりました。
あとおばさんも居たのですが、あまり覚えていません。 私は例の如くジャン
バーを着て、メッシュベストの中に全部もの入れて手ぶらで行動してましたので、
PKOのお兄さんと呼ばれてもいました。
翌朝に柳園に着いて、月牙泉に行きました。 ここは月の砂漠みたいな綺麗な
砂砂漠です。 その中に池がある。 ここで、たまたまお腹が痛くなってトイ
レに行きたかったんですが、道端のトイレは扉も何もない床に四角い穴が開いて
るだけで、どちらを向いてやって良いのかもわからない。 もうしょうがない
んでもうお腹の痛い部分だけを何とかして早々に引き上げました。 みんなに
遅れて焦りました。 この時が一番大変だった。
そこから敦煌に向かいました。 敦煌はやたらと洞窟がたくさんあって全部説明
をしてましたが、全くどれがどれかよく分かりませんでした。 途中でまたお
腹が痛くなったんでトイレに入っていてたと思うんですが、途中はだから聞いて
いません。 でも敦煌は川のそばにあってNHKのシルクロードの映像が一緒に綺
麗なのであちらの方がいいんじゃないかと思います。 少し離れたもっと小規
模の莫高窟にも行ったような気がします。
敦煌からは飛行機で嘉峪関に行きました。 万里の長城の一番西の端の嘉峪関に
行きました。 ここも真四角の砦があってあとは何もないという感じでしたが、
さらにその先も低い万里の長城はずっと続いてるようでしたが、かなり崩れてい
ました。 この辺に来ると万里の長城は背の高い畝になっていました。 そ
れで道を通すために、ところどころぶった切られたような形になっていました。
北京近郊の綺麗な万里の長城とは全く趣が違います。
後は2日ほどバスに乗りづめで行くのですが、所々に土産物屋と言うか現地の物
を売っている汚い店があるのですが、そこで色々買いました。 当時はシーズン
の最終でこれより遅くなると寒くなってしまって観光客は来ないらしいので、格
安で売っていました。 ここで絨毯を買って帰ったんですがおら重くて大変で
した。
土産物屋で思い出しましたが、昼食に行くと必ず周りに掛け軸があって、それを
即売してるわけです。 家に帰ってよく見ると掛け軸の下の軸の半分しか紙が
巻いてないような粗悪品でした。 かけてあるのはあまり良くないと思っ
て持ってきたものを見たんですが、それは上しか開かずに下は巻いたままなので
これで騙されました。 良いのか悪いのか分かりませんけども背負って持って
帰りました。 例のNECの人には佐々木小次郎だとちゃちゃを入れられました。
食事はずっと朝昼晩と羊です。 羊の嫌いな人は大変だと思いますが、私はあ
まり気になりませんでした。 うんざりしましたが、そんなにとんでもないとい
う話にはなりませんでしたが、朝昼晩とは必ず羊が出てくるという食事でこれで
バスでほとんど丸1日バスに乗ってたこともあります。
途中からは薬を
敦煌からは、酒泉、武威、蘭州と行って、蘭州からは飛行機で西安に飛んだと思
います。 西安では有名な兵馬俑に行きました。 大きな体育館みたいなとこ
ろに展示されていました。 さすがに中国は凄いなあと思いますが、これが元
になって日本では小型の埴輪ができたんじゃないかという気がします。 後は碑
林とか行きましたが、あまり書には興味なかったんで書に興味のある人には聖地
だと思います。
秦の始皇帝陵も遠くから見ましたが、これは巨大でさすがに中国は大したもんだ
という風な気がします。
西安から上海、関空とトータル13日で帰ってきましたが、まあよく行っておいた
もんだと思います。 今では新疆地区は行きにくいところになっています。
テレビを見てる限りを非常に開けてきて普通の大都会とあまり変わらないような
感じです。
自分単独で行く場合どうしようかと思ったんですが、意外に当時でも道は整備さ
れていてガソリンスタンドはところどこにあるので、これはひょっとしてうまく
やれば、元々夢だった韓国からヨーロッパに車で行くことは不可能ではないと、
その時に思いました。
宿屋も非常に汚い現地のものですが、これが一泊300円レベルで所々にそれらし
きものがありましたが、果たしてここで泊まれて寝れるかどうかはちょっと定か
ではないなと思いました。
ツアー旅行っていうのは、どこにでも入っていてイランイラク戦争があった時に、
戦闘が終わったら早速ツアーが出てて、それがテレビで映っていたので、本当に
ドンパチ戦闘してなければツアーは常に出てるものだと思います。
中国に関しては一番きついなと思ったのはゴビ砂漠縦断の旅で、これ2週間バス
で縦断するという旅です。 これは丈夫な人以外は無理ですと言うか説明があ
りました。 私みたいにシルクロードずっと帰ってくるだけでも色々大変だっ
たと思うのでこれを何もないゴビ砂漠を行くのは非常に大変だと思います。
当時の中国は想像よりはいろんな物が整備されていて、体力があってその気にな
ればいけないこともないと思います。 路線バスもあちこち出ていますのでバ
スセンターに行って行き先の書いてあるバスになんとかも潜り込めば、それで移
動できるんではないかと思いました。
また当時でもバックパッカーが居て、トルファンのホテルではバックパッカーを
見かけましたので、その気になればあまり問題なく旅行出来たのではないかと思
います。 もうおそらく一番面白いのはゴビ砂漠を越えて、どっかの峠を越
えてパキスタンかインドに出るコースが面白いと思いますが、これは非常にリス
キーだと思いました。
これでやっと3ヶ月のリフレッシュ休暇を全部消化したわけですが、まず会社に
出社してみると別稿でも書いたのですが Workstation の使い方を全く忘れてい
て、なんか浦島太郎状態になっておりました。
いずれにしてもリフレッシュ休暇というのはなかなか良かったと思います。 し
かしなぜか途中から中止になってしまったというのは残念なことです。

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