【回顧録】 試作センターの立ち上げ その1

【回顧録】 試作センターの立ち上げ その1
2022年3月12日 17:04:06 作成
2004年の正月に異動を宣告されて、それからの3月は永遠に思えるように長かっ
た。 案じていた明鏡のビジネスも軌道に乗りそうだったが、開発途中の電池
式の液面計とか、電力計が中途半端になってしまった。
特許の仕事も中途半端になっており、しかし京都に異動しないといけないので、
京都駅前の不動産屋から出たときに、秘書室の広岡君から電話で、産業21に行け
と言う。
今更しょうがないので、指定の日に行くと、顔を知っている雰囲気。 良く聞く
とネットで調べたら出ていたそうな。 役員待遇の理事はオムロンからも何人
か来ていた。 元は3つの公社がそれぞれの部になっているので、部の間で雰囲
気が違うのが面白かった。 オフィスは北と南に分かれていて、最初は確か南の
方で、南奉行と呼ばれていた。 そのうちに北の総務部の横に座ることになっ
た。
理事長は義雄さんで、義雄さんの指示だったらしい。 いつもはキチンと理事会
を開くが、私のケースは持ち回りで大急ぎで決済したらしい。 こう言うとこ
ろは役所は意外に融通は利く。
オフィスにずっといるのが苦痛で、最初の日は10分経つのがなかなかだった。
定時が来たので、すぐに帰ったら、今度の理事は付き合いきれないと、関電出身
の井上氏が苦言を呈する。 彼とはその後2人3脚で活動することになる。 ク
セがあるが、馬力はある。
3つの部の一つは情報産業何とかと言う、オムロン時代にEWSでいろいろ持ち込ん
だところだった。 当時は孝雄さんがここの理事長をやっていたと思う。 それ
でこの部のメンバーはオムロンには親近感が強かった。 部長も徳田氏で、先
ほどの井上氏、プロパーの巽君もここのメンバーだった。
他は坂本さんとか白髪のXXさんとかなかかな一癖のある人ばかりだった。 役
所関係はなかなか面白いと思った。 いろいろなパターンがあって、上から下ま
でバラエティに富んでいると言う印象だった。
サスガの私も単身でこんなところに放り込まれて、特に落下傘で異動したのは初
めてで、それまでは自分で組織を作って、しかも異動稟議も自分でみんな書いて
異動すると言うのが常だった。 M2Mの最後の異動から自分の意志ではなくなっ
た。 これは結構なストレスだった。
さらに理事と言っても、予算があるわけでもないし、部下がいるわけでは無いの
で、自力で動かさないといけない。 オムロンの役員でも、PC一つ買うのもま
まならないのを知っていたし、研究部材でなんでも買えるところに居たので、非
常に窮屈だったし、ストレスだった。 そこで初めて、部長の徳田氏を呼び出
して、京都駅地下の飲み屋に行って、愚痴を言うぞと言って愚痴った。 しか
し愚痴はこれ1回だけだった。
何にしてもすべてはお金が無いと話にならないので、取り敢えず予算表を見よう
と、隣に居た総務部長に聞くと、そんなのは無いとそっけない。 それを横目
で見ていた吉田君が下書きならありますよと見せてくれた。 彼は糖尿病を患っ
ていて、飲み会に出てくるがその場でもインシュリンの注射をしていたぐらい。
経理には詳しく、良く分かっている。 しかし時々出社しないことがあって、
ある時に井上氏に自宅に行くかと言うと、呼吸を合わせたように、立ち上がって
一緒に行った。 こう言う行動的な面で気が合うのかもしれなかった。 そ
の後大分経って、展示会ですれ違ったが、すぐに分かった。 彼は大病をして、
大変に痩せてしまったので、面影が無くなっていた。
予算書の下書きを見ると、リース料がものすごく高い。 大昔のルーター何か
が残っていた。 これを最新に切り替えるだけで、毎年何千万も浮いてきた。
ある時に京都府から予算の査定に来たので、知らんふりをしていたが、余ってい
るのは分かっていたらしいが、バッサリとカットはしなかった。 この辺は役
所だと思う。
これで原資が出来たので、OSKのM2Mのメンバーに連絡して、報告システムをクラ
ウドで刷新することにした。 一部のメンバーだけだが、訪問記録を入れる習
慣になっていた。 こう言う習慣を一気に広めるのは困難をきたすので、今ある
仕組みをそのままそっくり、作り変えて、さらには便利にした。 このシステ
ムは未だに動いているらしくて、増田さんの足跡が残っていますよと言われた。
技術的には問題なかったが、これをどうやって組織に落としていくのかが問題で、
縦割りの3部があるので、どうしようかと思ったが、横串組織として委員会があっ
た。 これを使って情報管理委員会とか何とかだったと思うが、最初の会合は
ドキドキして開催した。 誰も来ないのではないかと思っていたが、思ったより
出席はあって、この辺は意外に素直な面があるとみなおした。
このシステムは、定期的にデータを中小企業庁へ送らないといけなくて、そこが
少し苦労したが、何とかだましだましで動くようにしたが、時々エラーになった。
事務所のLANも、元の組織を引きずっていて、他の部のデータは見れないとか、
妙なところにFWがあったりして、これもケーブルを引き直して、全部刷新した。
社外向けのサーバーも三条のNTTに置いてあったが、これも引っ越しの時に、同
じビルの中に移転した。 共有のNASも付けた。 この辺りから産業21のシステ
ムは一手に管理できるようになった。 やはり情報システムを握っていると強
いところがある。
三条のサーバーは一度落ちたことがある。 良くあるようにバックアップのテー
プも動かず、1週間ぐらい停まっていた。 観光協会のサイトがあったので、気
が気では無かったが、結局自社ビルに持ち帰って、最終的には星和電機に預けた
と思う。 ここの前川氏にはいろいろお世話になった。

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