【回顧録】 リフレッシュ休暇 2
【回顧録】 リフレッシュ休暇 2
2021年4月17日 17:15:43 作成
ケルンからは列車になって、ブルージュで降りて、教会を上る。 ベルギーは出
張でも行くが、何かいつもごまかされる。 この時もバスの料金を胡麻化されか
けたし、自販機ですら何かおかしい。 予定ではブリュッセルで泊ったことに
なっていて、確かに降りた駅のそとがやたらとゴミゴミしていたことを思い出し
た。 いずれにしてもベルギーには良い印象が無い。
ブリュッセルからは列車で、オステンドからドーバーにフェリーで渡る。 例の
白い崖が良く見える。 そこからも列車でロンドンに向かう。 ロンドン
の地下鉄のチューブには閉口した。 エラク狭いし、深いので閉所恐怖症になる。
それと良く切符のチェックが入る。 しょっちゅうやってくるので、切符はしっ
かりと持っていないといけない。
大英博物館は、NHKの印象操作で立派だと思っていたが、思ったより小さくて貧
弱。 展示はあちこちからかっぱらってきたものが多いが内容は豊富。 ストー
ンヘンジにもツアーバスで行ってみた。 ロンドン橋もロンドン塔もあまり大
したものでは無い。 フランスに完全に負けている。 チップスアンドフィッ
シュは熱いので、意外にいけるが素朴。
ウイーンで書き忘れてたが、例の薄いビフテキを食べて、一応チップをあげよう
と、カードの金額を修正して置いたら、これが無効になったらしくて、日本に戻っ
てからカード会社からは請求が無かった。 悪いことをした。 チップは不要
だし、あげる場合は別に現金で置かないといけない。 アメリカ風にカードで渡
したらダメと言うこと。
ロンドンでザルツブルグ音楽祭に行っていた橋本氏と落ち合って、レンタカーを
借りて、取り敢えずイギリスをぐるっと回る。 西の方のウエールズは面白いと
ころで、また行ってみたいところの一つになった。 道路標識が、英語ウエー
ルズ語の順番が、どんどん西に行くと逆転するのが面白い。 いずれにしても
ウエールズ語は読めない。
イスラエルの電力線通信で知り合った何とか言うのが薦めてくれた、マーゲート
にも行ってみた。 単に海岸の海水浴場だが、こう言うことも無いと行かない。
彼とは確か以前にサンフランシスコで落ち合って、ダウンタウンの何処かのレス
トランで、6時から12時まで話していたことがある。 何を話したのかわからな
いが、この時にこの話をしたのかも知れない。
マンチェスターで車を返却して、その後は列車で、湖水地方に行って、さらにエ
ジンバラの方まで行った。 その先の何とか言うところまで行ったが忘れた。
この辺まで来ると如何にもスコットランドと言う感じがする。 スコットラン
ドでお釣りでもらった小銭は、ロンドンでは使えなかった。
ヒースローからドゴール空港経由でアテネに向かう。 ドゴール空港で一時的
に降りるときにふと見ると自分の荷物が降ろされている。 慌てて、タラップ
を降りて取り戻すが、後でエラク文句を言われる。 しかしここで荷物がロス
トすると、後がクルーズなので大変になるので必死。 しかし良く見つけたも
のだと思う。
飛行機がアルプスの上を飛んで行ったときは思わず見とれてしまった。 当然
にFクラスなので、一番前の席で、エラク年寄りのCAが付いたが、料理などを、
ここぞと言うときにさっと持ってくる。 ベテランと言うことだった。
ギリシャではクルーズに乗った。 天気が良かったので良い航海だった。 後で
仲人をして新婚旅行で行ったカップルは、天気が悪くて、瀬戸内海クルーズだっ
たと言っていた。
20か国以上のお客が居て、日本人は10人ぐらいで、食事は一つのテーブルで終わ
る。 最初の乗員の挨拶だけで20人以上なので時間がかかる。 その間に、ロー
ドス島で問題が起きて、デッキの手すりに置いていたカメラがボーイに接触して、
海に落ちてしまった。 あっという間に乗員は居なくなる。
取り敢えず保険で取り戻したいので紛失証明が欲しいので、それを乗員に言うと、
なかなかウンと言わない。 最後は船長と交渉したが、俺は船長ではないとか
言いだして、簡単な書類が出てこない。 立派な顔をしたギリシャ人と延々と
交渉をしていると、日本人の乗員が呼ばれて、話をするが、それでもダメ。 面
倒だなと思ったが、その乗員が、これだからギリシャ人はダメなんです、頑張っ
てください。 と言うので、引くに引けず、結局、岸に着いた後延々と待って、
権限があると言う本社の人間が書類をくれた。 後で調べると保険はそんな書
類が無くても出るとのことで、しかし面白い経験をした。
もう一つは、今回の旅行は、旅行者らしく見えないことを目的の一つにしていた。
一人でアチコチ出歩くので、危険な目に逢うかもしれないので、警報機とか目つ
ぶしとかを持って行った。 服装も暑いのに長袖のジャンパーにして、両手は
開けておくことにしていた。
ある島で、船を降りて町の方に歩いていくと、こっちへ来いと言う。 建物の中
らしいので、入るのを嫌がっていたら、一緒に居た橋本氏が、これは警察だと言
うので、急にヘイコラした。 どうも乗員が勝手に上陸するのを見張っていたら
しい。 乗員と見間違えらるのは、本来の目的を達したが、何か複雑だった。
アテネのバスは満員で、移動はバス。 シンタクマ広場は何処で降りると聞くと、
周りから怒鳴り声が聞こえる。 教えてくれているのだが、ギリシャ語が乱暴
に聞こえるので、びっくりする。
バスの行き先はギリシャ語のみで書かれているので、行き先の確認は大変。
完全にパターンマッチングになって、手元の行き先のギリシャ語表記とバスの表
記を見比べて、これだとなる。 この調子で、一番南の端の岬に行った。 魚
がおいしそうだったので、そこのレストランで食べて戻ってきた。
一度パリに戻って、観光バスに飛び乗って、一応のポイントを頭に入れてから、
地下鉄で回った。 しかし半日しかないので、行ったのはエッフェル塔ぐらいだっ
た。 その日は新幹線でレンヌまで行った。
そのレンヌで一番良いレストランで、海鮮料理を食べる。 ワインも2本開ける。
これもフランス料理だとのことだが、伝統的なものとは全く違う。 大騒ぎし
てチップも弾んで、やっとホテルに着く。
次の日は取り敢えずパリに向かわないといけないので、バッと起きて、そのまま
駅までタクシーで行ったが、ふと考えると戻り方が分からない。 ホテルの名前
も分からない。 全部ホテルに置いてきたので、慌てたが、駅で待っているタク
シーに順番に英語は分かるかと聞いて回って、少しわかると言うタクシーに乗っ
て、確かこっちから来たかと記憶をたどって、やっと帰り着く。 ホテルは若い
子は英語は分かるが、留守番の年寄りは分からないので、結構大変だった。
パリで橋本氏とは別れて、彼はロンドンから帰国するとのこと。 こっちはパリ
から夜行でジュネーブに向かう。 トムメイスに聞いたアヌシーで降りてみる
が、湖の方向が分からないので、適当に歩き出したら、逆の方向だった。 次
の列車の時間が20分後ぐらいになったので、これもタクシーに乗ってぐるっと回っ
たのかどうか忘れてしまった。 いずれにしてもちゃんと回れなかった。
途中で国境を超えるが、乗客は10人ぐらいで少ない。 おばさんが一人で旅行
していて、てっきり中国人だと思ったが、国境で日本のパスポートを出してきた
のでびっくり。 よく聞くと、北欧の方から下って来たらしい。
その後は焦ってモンブランに登ったので、高山病になってしまった。 ロープ
ウェイだが、最後の所はほとんど垂直に登っていく。 途中の駅でしばらくゆっ
くりしてから登らないといけない。
その後はインターラーケンに泊まって、マッタ—ホルンの前の山に登山列車で登
るが、天気が悪くて、列車から降りれず、下りでも列車が故障して、歩くかどう
かとなる。 危険だと言うので、列車で待っていたが動き出した。 結局ここ
では何も出来ず。
JCBの現地事務所に頼って、夜行列車のチケットを買ってもらっておいたので、
事務所まで取りに行って、夜中の列車でバルセロナに向かう。 オリエント急
行みたいな列車と言うが、そこまで豪華ではなかった。 しかし個室でシャワー
もついている。 朝食はビュッフェまで食べに行くシステム。 朝にバルセロ
ナに着く。 ここも予約は無かったので、駅で予約を取るが、意外に良いホテ
ルだった。
バルセロナは、ガウディなどを見て回る。 さらに列車でマドリードに行く。
プラドも見に行くが、あまりにたくさんあって、見切れず。
最初の夜に夕食に町で見かけたタベルナに行ってみるが、英語は分からない。
英語の分かる客が通訳してくれる。 しかし意外にここは高い。 どうも日本
で言うすし屋に相当するらしい。
2日目はフラメンコか闘牛かと言う選択になるが、結局フラメンコにして、歩き
方を見て、一番ローカルなところに目を付けて、まず夕方に下見に行ってみる。
夜の9時ごろに再度行くが、全く開演する気配がない。 ラスベガスみたいに良
い席を取ろうと英語の分かる女の子と交渉するが通じず。 元々そういうシス
テムでは無いようだ。
夜中の12時ごろにやっと開演で、かぶりつきには盛装をした地元の人、その後ろ
に一般で、本当の観光客は数人しかしなかった気がする。 9時ごろに来て、食
事をして、その後に始まるらしい。 踊り子は一人で、後から入ってきたお兄
さんがギタリスト。 ギターと箱を太鼓のように叩いて踊り子をどんどん熱くし
ていく。 踊り子の髪の櫛なども飛んでいくぐらい激しい。 実質1時間ぐらい
だが、これは体が持たないと思った。
結局2時ごろに終わったが、帰りの地下鉄は満員。 こう言うところらしい。
2日目だと思うが、そこそこのレストランで食べる。 隣の客が手長エビを食べ
ていたので、それを注文すると、エラク高かった。 帰りの飛行機の中で隣に
なったスペイン人にその話をすると、それは高すぎると言うことだった。
ダレスからSFOにやっと戻る。 しかし前に書いたように、泊まれると思ってい
たマンションが撤去されていたのでモーテルにする。 ここに3日ほど居て、9
月23日にやっと日本に戻る。

コメント