【回顧録】 スーパーメイトとシグマワークステーション、ソニーNEWS

【回顧録】 スーパーメイトとシグマワークステーション、ソニーNEWS
2021年2月3日 10:44:10 作成
スーパーメイトとシグマワークステーション、ソニーNEWS
スーパーメイトは本来ビットマップによるマルチウィンドウを作りたかったのですが、マルチウィンドウのを開発できなくて、結局シリアルでつないだ端末を1台のスーパーメイトに数台の端末を使うという形態になりました。 この端末は市販のものを使いましたがずっと前にオムロンがアメリカでこの種の端末を作ったらしいですが、それは別に書こうと思います。
スーパーメイトに端末をつないでソフトウエアを開発して、それをターゲットのエミュレーターであるSX-8900に流し込んで、それで組み込みソフトウェアのデバッグをして開発していくというスタイルです。 従ってSX-8900からはケーブルが出ていて、そのケーブルの先に CPU チップのソケットに繋がっています。 従ってケーブルでの遅延というのは非常に問題になるのですが、まあなんとか動かせるということになりました。 SX-8900は別項で述べたように CP/M で動いていたのですが、これがフロッピーからの立ち上げになっていたので、ターゲットの回路変更のために電源を落とすたびにフロッピーからの立ち上げを待たないといけないという不評がありました。 それは本体の電源落とさないようにすればいいんですがその辺がどうもうまく行っていませんでした。
最初にコンピュータを作りたいと言ったときに、上司の秦野さんが開発装置にしろと言ったので、こう言うシステムになりました。 以前に書いたと思いますが、オムロンは長年コンポ派とシステム派に分かれていて、システム派は何回もチャレンジして、失敗してきました。 交通システムをやってきた、岩本さんは私の結婚式の仲人を頼みましたが、当時は中央研究所の所長をしていました。 その時にGeneral Automationのコピーを作ってビジネスにしようとしたのですが、オイルショックなどがあって頓挫しました。 その後に、このスーパーメイトが立ち上がりました。 秦野さんとしては、オムロンの領域でしかも社内で使うソフトウエア開発装置にすればビジネスリスクが軽減すると思ったのでしょう。
この後のLUNAに代表される派手なコンピュータビジネスで、社内的にはシステム派が力を持ち、オムロンの事業戦略は秦野さんを中心として、技術本部の特に企画部門がになっ行くことになりました。 この辺りは別章で書きたいと思います。
この開発装置はそれなりに社内では使えるし社外でも少しは売れたのですが大したビジネスにはならなかったのです。しかしこれがだんだんと次の通産省のシグマプロジェクトに繋がって行くことになります。 当時の通産省ではソフトウェアの開発が急増して、これからは何百万人とソフトウェア技術者が足りなくなるので、それを補うためにはソフトウェア開発支援システムが必要であるという認識で、シグマプロジェクトが立ち上がりました。
これにオムロンのスーパーメイトがぴったりだったので、それに乗っかっていたわけです。 当時オムロンはそういう政府との関係と言うのはほとんどありませんでしたので、こう言う関係ができたというのは、非常にその後プラスになったんではないかと思います。 シグマプロジェクトの本部は何丁目か忘れましたが秋葉原の外れにあって何回か行ったことがあります。 ここには諏訪さんという人が行ってリエゾン的な役割を果たしておりました。 それでスーパーメイトをシグマステーションという名前に変えて行ったのですが、結果的にビジネス的にはに成功したとはとても言えない状況でした。
その時に競合相手のソニーが出てきてソニーはUNIX BSD を使っていて、通産省からかなり文句を言われたようですが、それも押し切ってNEWSと言うワークステーションを発売しました。
シグマワークステーションは公的な性格が強いので、当時はライセンス関係があいまいだったUNIXをAT&Tがまとめて SYSTEM5として正式にリリースしていましたので、これを採用。 しかし技術者の間では ライセンスが曖昧であるにも関わらず技術レベルの高いBSD の評価が非常に高く、SYSTEM5の評価が低かったと思います。
NEWSは後で聞いた話ですけど、これの出来が相当悪くてオムロンの技術屋がかなりこれをサポートしたということを聞いた事があります。 NEWSはソニーの土井さん、ドクターD という CD の規格を作った人が主導して作ったもので、みんな徹夜して廊下の床に寝ているところを踏まないように避けながら朝出勤したという話をしておりました。 後にテレビのインタビューを見ていると、そこで非常に印象残ったのはソニーの役員会ではこのプロジェクトに関した非難轟々であった、一方オムロンでは役員会では誰も何も言わない と対照的だったと感じました。 このソニーのNEWSに対抗して後にLUNAを開発することになるのですがこれまた別章にしたいと思います。
土井さんとはサンフランシスコの空港で一度会ったことがあります。 ブランスコムと言うIBMのVPの息子と会う約束をしていて、そこに行くと既に土井さんと立ち話をしていました。 ブランスコムは音楽分野なので、その辺で関係があったのだと思います。 その時に土井さんの顔を知っていましたので、挨拶して少し立ち話をしました。 UAにチェックインするところで、プレミアカードを出すのが分かりました。

コメント