【回顧録】 懸賞論文とその後、決裁権限
2020年7月13日 11:11:15 作成
オムロンでコンピュータを実際にやり始めることになった契機の一つに懸賞論文
があります。 長岡を立て直すために長岡に単身乗り込んできた田崎さんがやっ
た一つに懸賞論文の募集がありました。 その時に私が SPC スーパー
パーソナルコンピューターと言うタイトルで、今で言うパソコンですが、そうい
うレベルのものを作ったらどうか、作ったら面白いということを論文にしました。
今から考えると当然ですが、当時は高速のCPU それとネットワーク、ビット
マップディスプレイこの3本立てが SPCの生命であると確信していました。 当
時のパソコンはキャラクターベースで動くだけで、ネットワークもなく単に CPU
がついてるついているだけという感じでしたが、ゼロックスのALTOを見てると将
来はこうなるだろうと思って書きましたが、それが田崎さんの目に留まって1位
は無くて、同位2位になりました。 少し例外だった管理職の市原さんとセン
サーの山崎さんが受賞しました。この辺から全てが回っていったということにな
ると思います。
これの流れで、スパーメイト、LUNA、LUNAー88K、LUNA2と進んで、最後はバブル
崩壊で終わりました。 この時代は景気が落ち込まずに、それまでは景気が落
ち込むと開発は縮小ないしは中止だったので、景気の先行きは気になりましたが、
油断したときにバブル崩壊がありました。 崩壊と言ってもある日突然と言う
感じではなくて、1年ぐらいかけてズルズルと後退して言った感じがします。
いずれにしても、「オムロンで一番お金を使ったヤツ」と良く言われました。
使ったと言ってもほとんどが人件費で、それも本社費が高くて2500万/人年ぐら
いになると言う高固定費体質でした。 自分の裁量で、自分で使ったのは数億/
年ぐらいだと思います。 お金と言うのは、意図的にはなかなか使えないもの
です。
オムロンの管理職の決裁権限は大きくて、課長で100万/件、部長で2000万/件も
ありました。 1件あたりなので、大きなものはうまく分割すると沢山使えます。
しかし全体の予算の枠があり、何かしらの会議体の承認が必要なので、おいそれ
とは使えませんが、逆に手続きさえうまくやれば、オムロンのような大企業は、
キャッシュが枯渇すると言うことはあまり考えられないので、いわば使い放題に
なります。
課長の決裁権限が100万もあるのに、課長が自分で使うお金はありません。 部
下から上がってくる決裁文書を認可するだけで、自分の裁量はないのがおかしい
ので、ある時から、年初の予算策定時に課長自身の予算を入れるようして、そこ
から使うようにさせましたが、それでもなかなか使えません。
組織、それも会社組織で一番実力を発揮できるのは課長です。 自分の部下と予
算があります。 部長はそれを使いこなしたら良いのですが、少なくとも直属の
部下は課長しかいません。 それを飛び越してやると組織崩壊を招きます。
一番悲惨なのは役員クラスです。 個室を与えられてそれなりの待遇ですが、部
下も予算もありません。 個室は閉じ込めているだけだと思います。 結局外部
の人とかマスコミと話をするだけになってしまいます。 役員それもシニアレ
ベルの役員がパソコン1台買うのに四苦八苦していました。 そんなもの自腹で
買えよとも思いますが、研究開発では、どんなに高いパソコンでも開発の材料だ
と言えば、設備でもなく全額経費で処理できます。
当時、EPSONが物凄く薄く軽いPCを作っていて、なんと1台50万もしましたが、2
台ほど買って、1台はティアダウンして、あまりの工作の複雑さに負けて、元に
戻せませんでした。

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