【回顧録】 立石電機入社 その2

【回顧録】 立石電機入社 その2
2018年9月20日 12:25:04 作成
就職先はいろいろ考えて、ベンチャーを興すことも考えたが、よく考えると会社
組織や運営に関してほとんど何も知らない事に気が付く。 父親の会社も1ー2人
なので組織という程ではない。
そもそもベンチャーに興味を持ったのは、父親が何かというと会社の経費で、と
言うので、会社と言うのはそれ程良いものかと感じていた。 名刺の取締役と
言うのが良く分からずに、何も無いのに何を取り締まるのかと不思議に思ったが、
その後いろいろ分かって来て、アメリカのボードのあり方を見ていると、社長を
取り締まるのが取締役だと気が付いた。 日本は中途半端に、欧米の概念や役職
が取り入れられていることに気が付くのは、もっと後のことになる。
会社組織に関してほとんど素人だと気が付いて、これは少し組織に入って勉強し
ないといけないと思うようになった。 そこで東のソニー、西の立石電機と言わ
れていて、ベンチャーの雄と言われていた立石一真に興味を持って、立石電機に
入社することにした。 当時は完全に売り手市場で、立石電機ぐらいなら、入社
してあげると言う感覚だった。
それで、勉強のために入社したので、3年で退社すると公言していたが、本当の
所は管理職ならないと分からないと思ったので、それまで居ると、居心地が良く
なってきて、とうとう定年まで、しかもその後も63歳まで居ることになろうとは
夢にも思わなかった。 それまで何回も退社のタイミングはあったが、全てパ
スした。 本当のところは辞めたくなかったからだと思う。
立石電機への入社試験は、何と交通ストの当日だったので、車で渋滞する道を延
々と花園まで行った。 本社の正面にエスカレーターがあるのが面白
かって、確か筆記もあったような気がするが、余り覚えていない。 面接は後で
分かったが、交通の栄田部長と人事の本間部長だった。 交通の開発者を選びに
来たらしい。 いろいろ聞かれて、少し民青の話をしたら突っ込まれた。 支
持は父親の関連として、民社としていた。 学生時代の事は忘れて、これから
はおとなしくしていないといけないと思った。
結局、入社順位は2位になってしまって、トップの大淵君は交通に配属。 2位は
サイバネ配属だった。 当時の修士は7人入った。 トータルでは250人ぐらい
入ったので、極めて少数だったし、平和にサラリーマンを終えたのは、数人だけ
だった。

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